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2021年12月23日 (木)

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ヴァイセリッツタール鉄道 Weißeritztalbahn

フライタール・ハインスベルク Freital-Hainsberg ~クーアオルト・キプスドルフ Kurort Kipsdorf 間 26.335km
軌間750mm、非電化
1882~83年開通


マルター駅を出発する蒸気列車

フライタール・ハインスベルク=クーアオルト・キプスドルフ狭軌鉄道、通称「ヴァイセリッツタール鉄道 Weißeritztalbahn」は、現存するザクセンの狭軌鉄道の中では最長の路線だ。延長26.3kmあり、終点クーアオルト・キプスドルフ Kurort Kipsdorf まで、蒸気列車で1時間20分以上かかる。

起点はドレスデン Dresden 南西郊のフライタール・ハインスベルク Freital-Hainsberg で、ドレスデン中央駅からフライベルク Freiberg 方面のSバーン(近郊列車)でわずか15分。ここから毎日、本格的な蒸気機関車が古典客車を連れて、エルツ山地の山懐に向けて出発していく。大都市の間近で、こうしたノスタルジックな列車の旅をいつでも楽しめるというのは貴重なことだ。


フライタール・ハインスベルク駅
ザクセンIV K形蒸機の特別運行(2018年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

とはいえ、列車がクーアオルト・キプスドルフまで到達できるようになって、今年(2021年)でまだ4年しか経っていない。2002年8月の豪雨により、各所で線路や橋梁の流失など壊滅的な被害を受けて以来、鉄道は長期にわたり、復旧途上にあった。

2008年12月に第1段階として、起点からディッポルディスヴァルデ Dippoldiswalde まで15.0kmが通行できるようになったが、全線が再開されたのは2017年6月、災害発生から実に15年後のことだ。並行してバス路線があるため、列車がなくても日常の用は満たせていたというものの、沿線自治体にとって蒸気鉄道は、旅行者を呼び込むための重要な観光資源だ。復活は悲願だったに違いない。


路盤が流失した線路
シュペヒトリッツ停留所下流200m(2002年)
Photo by Jörg Blobelt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

全線再開を祝う人々
クーアオルト・キプスドルフ駅にて(2017年6月17日)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

軌道や施設の多くが再建されたため、新線と見違えそうな見栄えだが、鉄道自体はザクセンで最初に計画された狭軌の二級鉄道(地方鉄道)Sekundärbahn の一つで、140年近い歴史をもっている(下注)。今回は、この古くて新しい狭軌鉄道を訪ねてみることにしよう。

*注 開通時期は、1881年のヴィルカウ=キルヒベルク線 Strecke Wilkau–Kirchberg(ツヴィッカウ南郊、後にヴィルカウ・ハースラウ=カールスフェルト狭軌鉄道 Schmalspurbahn Wilkau-Haßlau–Carlsfeld の一部となった)に次ぐが、同線は1973年に廃止されたため、現存路線では最古になる。


フライタール・ハインスベルク~ディッポルディスヴァルデ間の地形図に
狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

ディッポルディスヴァルデ~クーアオルト・キプスドルフ間の地形図に
狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

ヴァイセリッツタール鉄道は、1882年にシュミーデベルク Schmiedeberg まで、翌83年にキプスドルフまで、段階的に開業した。もとは標準軌を敷く計画だったが、通過する谷が狭隘で、建設費圧縮のために規格を落として設計したのだという。シュミーデベルクが最初の目的地になったのは、地名が示すとおり鉱山町で(下注)、貨客ともに相応の需要が見込まれていたからだ。

*注 地名シュミーデベルクは、Schmiede(鍛冶屋、鍛造の意。英語のsmith, smithyに相当)+Berg(山の意)に由来する。キプスドルフも、かつては Kyppsdorf と綴り、銅の村 Kupferdorf を意味する地名だった。

開通後の輸送実績は想定以上だった。急ぎ、一部の駅では荷役側線を延長し、貨物列車は機関車を2両にする重連運転でさばいた。しかしこの好況に、文字通り水を差す事態が発生する。1897年7月の豪雨と、それに伴う大規模な川の氾濫だ。

鉄道の通る谷は、ローテ・ヴァイセリッツ川 Rote Weißeritz(下注)の流路になっている。ふだんの川は穏やかな流れで、川床は浅く、ささやかな堤しかない。ところが、ここを100年に一度と言われた大水が襲来し、谷中の村や交通路はことごとく流されるか、水に浸かった。鉄道の復旧は、1年がかりの大事業となった。2002年のそれより1世紀以上も前に、同じような経験をしていたことになる。

*注 この川はフライタール Freital で西から来たヴィルデ・ヴァイセリッツ川 Wilde Weißeritz と合流し、ドレスデンでエルベ川 Elbe に注ぐ。鉄分を含んでやや赤く見えたことから、ローテ(赤いの意)の名がある。


ローテ・ヴァイセリッツ川
後方はラーベナウ駅
 

小規模な冠水にはその後も見舞われるが、地形上の弱点にもめげず、鉄道は順調に業績を伸ばしていく。20世紀に入ると、他の狭軌線と同様、貨物輸送の効率化が進められた。標準軌貨車を狭軌の台車に載せて運ぶロールボック Rollbock や、その改良形であるロールワーゲン Rollwagen が導入がそれだ。車両限界を拡張するために、駅施設や渓谷区間を改修する必要があり、その一環で1か所だけあった短いトンネルが撤去されて、切通しにされた。


標準軌貨車を載せたロールワーゲン
フライタール・ハインスベルク駅にて
 

後に、より大規模なルート変更が2か所で行われている。一つは、下流域の洪水制御のために計画されたマルター・ダム Talsperre Malter の建設に伴うものだ。川を堰き止めるダムの出現で、鉄道はザイファースドルフ Seifersdorf の手前からディッポルディスヴァルデの町の入口まで、約5kmにわたって移設された。

1912年4月に完成したこの新ルートは、堰堤の高さまで20‰勾配で上り、そのあとダム湖に沿って水平に進む。ダムは1913年に完成し、湛水を開始した。旧ルートのうち水没を免れた下流区間は、後にハイキングトレールに転用されている。

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マルター・ダムと列車(1914年の絵葉書)
Image by Brück & Sohn Kunstverlag Meißen at wikimedia. License: CC0 1.0
 

もう一つは、1924年に移転したシュミーデベルク駅の前後区間だ。旧ルートはもともと川の右岸(東側)の街道沿いを通っていたが、鋳造所からの貨物の増加で手狭になった駅とともに、前後約3kmの区間が左岸に移された。ペーベル川の谷(ペーベルタール Pöbeltal)を横断する高架橋を含む今のルートは、このときに造られたものだ。

なお、ペーベルタールには、当時チェコ国境に通じる狭軌支線(下注)が計画されており、シュミーデベルクには分岐駅として必要な用地が確保されていたが、一部の路盤が造成されただけで未完に終わった。

*注 ペーベルタール鉄道 Pöbeltalbahn は、シュミーデベルク~モルダウ Moldau(現 チェコ領モルダヴァ Moldava)間17.3km。モルダウでエルツ山地を越える標準軌線と接続する予定だった。

当時、鉄道の旅客輸送は、冬のほうが多忙だった。都会からウィンタースポーツに繰り出す人々で、列車は週末ごとに混雑した。それに対応すべく、1933年には終点キプスドルフ駅の構内が拡張されて、客車13両と手荷物車1両というピーク時の長大列車も扱えるようになった。


キプスドルフ駅にウィンタースポーツ列車が到着
(1920年の絵葉書)
Image by Brück & Sohn Kunstverlag Meißen at wikimedia. License: CC0 1.0
 

ザクセンが東ドイツに属した第二次世界大戦後は、近隣の狭軌鉄道と同じような経過をたどっている。1948年から沿線で始まったウラン鉱の採掘で、貨物輸送が活気を取り戻し、1950年代に入ると、冬場の行楽輸送も復調した。

しかし1964年の、今後10年間で国内の狭軌鉄道を全廃するという国の方針で、路線は転機を迎える。運行要員が削減された駅では、転轍器の操作が列車乗務員の仕事になった。保守経費の切り詰めで線路の不良個所が放置されたため、速度制限区間が拡大していった。利用者の路線バスへの流出が加速するのも、やむを得ない流れだった。


東ドイツ時代のディッポルディスヴァルデ駅(1986年)
Photo by Bärtschi, Hans-Peter at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

1973年に、維持すべき観光路線の一つに選ばれたことで、鉄道はかろうじて廃止を免れたが、それもドイツ再統一で環境が一変する。民営化されたDB(ドイツ鉄道)は、引き継いだ路線網の整理縮小を急いだ。1994年末限りで貨物輸送が中止され、1998年には旅客輸送の廃止も予告されていた。

この危機は、地域の公共交通を一元的に管理するオーバーエルベ運輸連合 Verkehrsverbund Oberelbe (VVO) が設立され、DBとの運輸委託契約が結ばれたことで、ひとまず収まる。その後、鉄道の管理は2001年からDBの子会社に引き継がれ、最終的に2004年、BVO鉄道有限会社 BVO Bahn GmbH(現 ザクセン蒸気鉄道会社 Sächsische Dampfeisenbahngesellschaft (SDG))に移管された。

ただし、この間に冒頭で述べた豪雨災害に見舞われており、むしろこのほうが存続の脅威だったと言えるだろう。全線の復旧にかかる費用は約2000万ユーロと見積もられ、連邦の洪水救済基金からの拠出がなければ、実現は不可能だった。最終的にはその2倍の約4000万ユーロが投入され、2017年6月17日に待望の再開通式が挙行されている。


ラーベナウ駅に入る蒸気列車

起点フライタール・ハインスベルク駅は、興味深い構造をしている。Sバーンが停車する標準軌ドレスデン=ヴェルダウ幹線 Hauptbahn Dresden–Werdau の旅客ホームが一段高い築堤上にあり、その西側の地平に、狭軌鉄道の駅とヤードが展開する。ところが、その西隣にまた標準軌の線路が数本並んでいるのだ。

これは、単線の貨物線とその側線だ。昔はこちらが本線だったのだが、狭軌線との間で貨物をやり取りする列車の転線を支障しないように、東側に、旅客線が別途設けられた。そのため、狭軌線の構内は旅客と貨物の標準軌線に挟まれる形になっている。


(左)フライタール・ハインスベルク駅の標準軌ホーム
  右の狭軌ヤードより一段高い(2015年)
Photo by Rainerhaufe at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)狭軌線のヤードの左端に乗降ホームがある
 

狭軌線のヤードもけっこう広く、貨物輸送が盛んだった往時をしのばせる。しかし今は、使われなくなった貨車や客車の留置場所だ。一方、機関庫と整備工場は、キプスドルフ方の末端に集約されていて、給水や給炭作業もその一角で行われる。

標準軌線の築堤に接する屋根付きの狭軌ホームでは、蒸気列車が発車待ちをしている。さっそく乗り込むことにしよう。


狭軌線の整備工場

フライタール・ハインスベルク駅で
蒸気列車が発車を待つ(2018年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

列車はホームを離れると、機関庫のそばで標準軌線の下をくぐって左側に出る。なおも並走する間に、ヴァイセリッツ川が左手から接近するが、まもなく列車は左カーブで標準軌線から離れ、川を続けざまに渡る(下注)。最初の停留所はフライタール・コースマンスドルフ Freital-Coßmannsdorf だ。

*注 ヴァイセリッツ川に合流する前の、ヴィルデ・ヴァイセリッツ川 Wilde Weißeritz およびローテ・ヴァイセリッツ川。

三角屋根が連なる大きなショッピングセンターの横を通過すると、いよいよ谷が狭まってくる。ここからしばらくは、ローテ・ヴァイセリッツ川が刻んだ狭い谷底を這うように進んでいく。このラーベナウアー・グルント Rabenauer Grund(ラーベナウ渓谷の意、下注)は細かく曲がりくねっていて、鉄道も急カーブと橋梁の連続だ。次の駅までの間に、橋梁の数は12もあるという。この区間は2002年の豪雨による異常水位で甚大な被害を受け、線路をはじめ施設設備の多くが造り直されている。

*注 グルント Grund は英語の ground に相当し、ここでは谷底を意味する。


(左)ヴィルデ・ヴァイセリッツ川を渡る
(右)ラーベナウアー・グルントの曲線だらけの線路

(左)ラーベナウアー・グルント
  ハイキングトレールが線路と絡む
(右)写真奥に見える橋梁は、水害の後、
  橋脚のないタイドアーチで架け直された(ラーベナウ駅南方)
 

ラーベナウアー・グルント周辺の1:25,000地形図(1989年)
© 2021 Staatsbetrieb Geobasisinformation und Vermessung Sachsen
 

ラーベナウ Rabenau 駅は谷の途中にあり、貨物列車の交換も可能な長い待避線を備える。同名の町は渓谷の上の台地に立地するのだが、列車からは全く見えない。ちなみに、町へ向かう道路から右に分かれる小道を上っていくと、渓谷と鉄道駅を俯瞰するシャンツェンフェルゼン Schanzenfelsen(砦岩の意)の展望台がある。下の写真は、駅に入線する列車をそこから眺めたものだ。


ラーベナウ駅に入る蒸気列車を
シャンツェンフェルゼンから俯瞰
 

さて、渓谷はシュペヒトリッツグルント Spechtritzgrund と名を変えながら、なおも続く。列車は、最も狭隘な区間にさしかかっている。車輪をきしませて通過する急カーブは、路線最小の半径50mだ。次のシュペヒトリッツ Spechtritz 停留所もまだ谷の中だが、少し空が広がってきたようだ。

しばらく行くと、ダム建設で1912年に付け替えられた区間に入る。トレールになった旧線と川とを斜めに横断し、25‰の上り勾配で谷の斜面を上り詰めていく。やがて右手に弧を描くマルター・ダムが現れる。高さ26.8m、堤長193m、ダム湖は谷を埋め尽くし、周辺の景色を一変させた。


マルター・ダムの堰堤(2007年)
Photo by ProfessorX at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

その穏やかな湖面を眺めながら左にカーブするところに、待避線をもつマルター駅がある。ダム湖へ行く行楽客の下車駅だ。列車は駅を出た直後に、支谷に架かる長さ66mのボルマンスグルント橋梁 Brücke Bormannsgrund を渡る。湖水に脚を浸した5径間のアーチ橋は、列車の好撮影地になっている。


ボルマンスグルント橋梁を渡る

ボルマンスグルント橋梁をダム湖対岸から遠望
 

しばらく車窓にはダム湖が続くが、左手に建物が目立ち始めれば、次のディッポルディスヴァルデ駅が近い。ここは沿線最大の町だ。水害からの復旧過程では、9年間、列車の終点になっていた。拠点駅らしく、島式ホームには木組みの大屋根が架かり、両側に貨物側線が何本も並んでいる。


(左)ディッポルディスヴァルデ駅に到着(2021年)
Photo by MOs810 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)ディッポルディスヴァルデ駅の島式ホーム(2017年)
Photo by SchiDD at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

この後は連邦道170号線と絡みながら、なだらかな谷間を進んでいく。オーバーカルスドルフ Obercarsdorf からは、再び新線区間に入る。1924年に切り替えられた線路は、集落を避けて川の左岸(西側)を伝っている。

右から合流するペーベルタールを横断する地点には、8つのアーチをもち、長さ191mと路線最長のシュミーデベルク高架橋 Schmiedeberger Viadukt が築かれた。S字カーブを描く高架橋の上で、列車は、谷間を埋める家々の屋根を見下ろすように走る。渡り終えれば、シュミーデベルク駅がある。


(左)家々の屋根を見下ろすシュミーデベルク高架橋(2021年)
Photo by MOs810 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)町中に築かれたアーチ(2013年)
Photo by Geri-oc at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

新線区間は、駅を越えて左手に鋳造所が見えるまで続く。再び谷が狭まってきた。ブッシュミューレ Buschmühle 停留所を見送ると、いよいよ路線最後の急坂が待ち構えている。勾配値は最大で34.7‰(1:28.8)に達し、上りきったところが終点クーアオルト・キプスドルフ駅の構内だ。標高は534mで、起点とは350mの高度差がある。

ここも長いホームを有している。駅舎は車止めの先にあり、階段を上がると、吹き抜けに壁画の描かれた立派な1階ホールに出られる。建物はビュルガーハウス Bürgerhaus(村の公共施設)として機能していて、インフォメーションオフィスや鉄道資料の展示室もある。


クーアオルト・キプスドルフ駅に入る
蒸気列車(2017年)
Photo by R.D. - Rolf-Dresden at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

クーアオルト・キプスドルフ駅
(左)駅舎正面(2009年)
Photo by R.D. --Rolf-Dresden at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
(右)1階ホール、右奥にホームへ降りる階段がある(2021年)
Photo by MOs810 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

クーアオルト・キプスドルフは、人口300人ほどの小さな村だ。保養地(クーアオルト Kurort)の冠はついているものの、特に見どころがあるわけでもない。終点まで乗ってきた客の多くは、機回し作業を見学した後、折返しの列車に再び乗り込んでいく。

ヴァイセリッツタール鉄道の蒸気機関車は、フライタール・ハインスベルクを拠点にしている。ザクセン蒸気鉄道SDGのリストによれば、2021年現在、稼働できるのは1933年製の「標準機関車 Einheitslokomotive」99.73~76形と、1957年製の「新造機関車 Neubaulokomotive」99.77~79形が1両ずつだ。

通常ダイヤでは後者が使われ、前者は後述する特別運行日にのみ登場する。このほか、同形式の蒸機が複数両、フライタール・ハインスベルクとキプスドルフに分散して保管されている。

客車はオープンデッキをもつ古典車タイプだが、DR時代に車体を更新したいわゆるレコ・ヴァーゲン Reko-Wagen(Reko は再建 Rekonstruktion の意)が使われている。また、夏のシーズンには、無蓋貨車を改造した展望車 Aussichtswagen が連結される。


(左)戦前製の「標準機関車」99 1746機
(右)戦後製の「新造機関車」99 1771機
 いずれもフライタール・ハインスベルク駅にて
 

運賃は区間制だ。1日乗車券 Tageskarte もあるが、片道および往復乗車券でも当日の途中下車 Unterbrechung が1回限り有効になっている。

最後に運行状況だが、SDGが運営する3路線の中では、最も閑散としている。2021年のダイヤによると、通年運行しているものの、全線通しで走るのは2往復、それにディッポルディスヴァルデ折返しが夕方1往復あるだけだ。沿線に著名な観光地がなく、利用者数も限られることから、1編成で賄えるダイヤにしてあるのだろう(下注)。これとは別に、年に2日間だけ、特別ダイヤ Sonderfahrplan で通し4往復と区間便2往復が走る。

*注 ディッポルディスヴァルデまで部分復旧していた期間は、1日6往復運行されていた。短距離のため、これでも1編成で対応可能だった。

ちなみに、ドレスデン市内とディッポルディスヴァルデ~キプスドルフ沿線間には、路線バスが30~60分間隔で運行されている(360系統、RVSOE による運行)。また、Sバーンのフライタール・ドイベン Freital-Deuben 駅前からもラーベナウ市街地(駅前は通らない)経由でディッポルディスヴァルデまで、バスが1時間ごとにある(348系統、同上)。現地訪問の際、片道をバス移動にすれば、旅程の可能性がより広がるかもしれない。時刻表、路線図は https://www.vvo-online.de/ を参照されたい。

次回はデルニッツ鉄道を訪ねる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2013年4月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ヴァイセリッツタール鉄道(SDG公式サイト)
https://www.weisseritztalbahn.com/
ヴァイセリッツタール鉄道利益共同体協会 IG Weißeritztalbahn e.V.
http://www.weisseritztalbahn.de/

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2021年12月 7日 (火)

ザクセンの狭軌鉄道-フィヒテルベルク鉄道

フィヒテルベルク鉄道 Fichtelbergbahn

クランツァール Cranzahl ~クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール Kurort Oberwiesenthal 間 17.349km
軌間750mm、非電化
1897年開通


ノイドルフ村裏手の林を上る蒸気列車

ドイツとチェコの国境に横たわるエルツ山地 Erzgebirge は、くるみ割り人形などに代表される木工細工で知られている。しかしかつては、銀、錫、ウランなど有用鉱物の採掘が主産業だった。ドイツ語で鉱石を意味するエールツ Erz が山地の名になっている(下注)のが、そのことを物語る。

*注 英語でも直訳して Ore Mountains と呼ばれる。なお、日本語ではエルツと書かれるが、語頭の E は長母音なので、本来はエールツ。また、実際の発音はエーアツに近い。

中世から山地のさまざまな場所で行われていた採掘活動は、その後盛衰の波を経つつも19世紀まで続いた。しかし、世紀後半になると、資源の枯渇が進んで徐々に縮小され、さらに主力の銀は、1871年の金本位制導入による価格急落で、大きな打撃をこうむった。


山頂のフィヒテルベルクハウス Fichtelberghaus(2015年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

山地の冬は気候が厳しく、北西からの風にさらされるドイツ側斜面は降雪量も多い。鉱業が衰退したエルツ山地で、現在、木工とともに経済を支えているのは、この自然環境を生かしたウィンタースポーツの観光業だ。標高1215mのフィヒテルベルク山 Fichtelberg(下注)が、その中心地の一つになっている。

*注 フィヒテルベルクの名は、ドイツトウヒ(フィヒテ)Fichte の山 Berg に由来する。昔はドイツトウヒの天然林が山を覆っていた。

写真ではありふれた高まりにしか見えないが、山はドイツ領エルツ山地の最高地点で、旧 東ドイツでは国内最高峰でもあった。ちなみに、山地全体で最も高いのは、チェコ領内にある標高1244mのクリーノベツ山 Klínovec(ドイツ名 カイルベルク Keilberg)だが、フィヒテルベルクの南4kmに並ぶ双子のような山だ。


フィヒテルベルク遠望、チェコ側から撮影(2013年)
Photo by Horst at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

山麓の町クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール Kurort Oberwiesenthal に、山の名を冠した750mm軌間の蒸気保存鉄道が通じている。鉄道は、ケムニッツ Chemnitz 方面からの標準軌線と接続するクランツァール Cranzahl 駅を起点に、120年以上にわたって保養客や行楽客を町に送り届けてきた。

路線の正式名は、クランツァール=クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール狭軌鉄道 Schmalspurbahn Cranzahl–Kurort Oberwiesenthal だが、1998年に使われ始めた「フィヒテルベルク鉄道 Fichtelbergbahn」のマーケティング名称が定着している。本稿では過去に関する記述も含めてこの名称を用いる。


フィヒテルベルク鉄道のロゴ
BERG(山の意)の文字列が盛り上がる

クランツァール~オーバーヴィーゼンタール間の地形図に
狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

鉱山集落としてヴィーゼンタール Wiesenthal(下注1)が成立したのは、16世紀のことだ。19世紀の鉱業衰退とともに一時寂れたが、1872年にエルツ山地を横断する標準軌鉄道(下注2)が開通すると、フィヒテルベルクをめざす行楽客が訪れるようになった。とはいっても最寄り駅は、国境を越えたオーストリア領ボヘミアにあるシュミーデベルク Schmiedeberg(現 チェコ領コヴァージスカー Kovářská)で、町まで坂道を介して7kmの距離があった。

*注1 ヴィーゼンタールの上町が、オーバーヴィーゼンタールになる。
*注2 コーモタウ Komotau(現 チェコのホムトフ Chomutov)~ヴァイペルト Weipert(同 ヴェイプルティ Vejprty)~アンナベルク Annaberg 間76.7km。アンナベルク(現 アンナベルク・ブーフホルツ下駅 Annaberg-Buchholz unt Bf)で、1866年開通のアンナベルク=フレーア線 Bahnstrecke Annaberg–Flöha に接続した。


標準軌線はゼーマ川に架かる橋を渡って
クランツァール駅に入る
 

直接ヴィーゼンタールに入る路線が実現するのは、それから20年あまり後になる。ザクセンでは1880年代から、交通量が少ないと見込まれる地方路線について狭軌で建設が進められており、これもその一環だった。

計画段階では、標準軌線との接続駅が異なる3種のルート案があった。一つは支線の終点、クロッテンドルフ Crottendorf から始まる西ルート、二つ目はクランツァールを起点とする中央ルート、三つ目がベーレンシュタイン Bärenstein で接続する東ルートだ。

最終的に実現したのは中央ルートだが、地図で見ると、途中で分水界を越えなければならず、距離も長い。確かに、一本の谷を遡るだけで済む東ルートが建設費の点で最も有利だったのだが、接続駅とされたベーレンシュタインが地形的に手狭で、狭軌線用の施設を拡張するのが困難と判断されたのだという。

中央ルートは案の定、地形の複雑さから見積りを超える費用をかけて、1897年7月に開通式を迎えた。しかし有名な山の麓まで行けるとあって、行楽客にはすこぶる好評で、旅客輸送は順調に伸びた。第一次世界大戦中は石炭不足で運行規制を余儀なくされたが、戦争が終わると客足が戻った。それどころか、輸送実績は戦前を上回る伸びを示した。1924年に町からフィヒテルベルク山頂へ上る、ドイツで最初のロープウェーが開通したからだ。

まだトラックが普及していない時代で、ロープウェーの建設資材の運搬も軽便鉄道が担っている。すでに1906年から、標準軌車両を狭軌の台車に載せて運ぶロールワーゲン Rollwagen が運用されており、効率的な貨物輸送が可能だった。この記念すべきフィヒテルベルク・ロープウェー Fichtelberg-Schwebebahn は、設備改修を受けながら現在も運行されている。


フィヒテルベルク・ロープウェー
背景はオーバーヴィーゼンタール市街(2017年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

とはいえ、追い風はいつまでも吹かない。1930年代になると、鉄道と並行して路線バスが走り始めた。バスは都市から直通するので人気があり、列車はピーク時にあふれた客の輸送手段に甘んじた。さらに第二次世界大戦の開戦で行楽需要が消え、ドイツが降伏した1945年には一時、列車の運行そのものが中止される。

戦後、ザクセンは東ドイツに属したが、1947年からの数年間、沿線でウランの採掘が行われ、鉄道に、鉱石運搬とともに作業員輸送の任務が課せられた。鉱山の従事者は3000人に上ったため、他の狭軌鉄道から借り集めた車両も使って、10両編成の通勤列車が組まれたという。

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標準機関車99.73~76形
クランツァール駅にて(1995年)
Photo by Phil Richards at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

採掘は1950年代半ばに終了し、鉄道にはもとの日常が戻ってきた。レースニッツグルント鉄道の項でも述べた通り、1964年に政府が、今後10年間で国内の狭軌線を全廃する方針を決定したとき、鉄道の命運は尽きたかと思われた。しかし、執行を免れているうちに、1973年の維持すべき行楽路線の選定があって、鉄道は存続することになる。

ドイツ再統一後の1992年に、顧客を失った貨物輸送は廃止された。そして1998年、路線の運営はDB(ドイツ鉄道)から、地元の公的資本で設立されたBVO鉄道有限会社 BVO Bahn GmbH(2007年にザクセン蒸気鉄道会社 Sächsische Dampfeisenbahngesellschaft (SDG) に改称)に引き継がれる。

その後、車両の整備や設備の更新が実施され、2004年にはオーバーヴィーゼンタールに新しい車両整備工場も建てられた。現在、同社はフィヒテルベルク鉄道を含めて3本の狭軌鉄道(下注)を運営しており、全般検査のような大規模な作業はここで集中的に行われるようになった。

*注 フィヒテルベルクのほか、レースニッツグルント鉄道とヴァイセリッツタール鉄道。


オーバーヴィーゼンタール駅構内の整備工場

冬場の需要も手堅いので、鉄道は通年で運行されている。2021年のダイヤによれば、1日の運行本数は平日5往復、土日祝日は増便されて6往復だ。3月と11月のみ、閑散期として3往復に削減される。全線の所要時間は57~64分。日中はニーダーシュラーク Niederschlag 駅で列車交換が行われる。

運賃は区間制で、片道および往復乗車券では当日の途中下車 Unterbrechung が1回限り有効だ。何度か乗り降りするなら、1日乗車券 Tageskarte もある。

鉄道の公式サイトによれば、切符は車内で車掌が販売している。また、起点クランツァール駅では駅舎のビストロ(軽食堂)で、終点クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール駅では案内カウンターで、それぞれ切符の取扱いがある。

ザクセンの750mm軌間は東ドイツ時代、国鉄(DR、ドイツ国営鉄道)の路線だったので、稼働している機関車の形式も共通だ。運営会社SDGの機関車リストによると、オーバーヴィーゼンタールにいるのは、1929年製造の「標準機関車 Einheitslokomotive」99.73~76形が1両と、戦後1950年代に造られた「新造機関車 Neubaulokomotive」99.77~79形が5両、それに予備車としてディーゼル機関車L45H形が1両となっている。

客車もオープンデッキつきの古典車で、1910~20年代に製造されたものだ(一部は改造車)。また、夏のシーズンには、無蓋貨車を改造した展望車 Aussichtswagen が連結される。


(左)主力機関車99.77~79形
(右)ディーゼル機関車 L45H形

(左)オープンデッキつきの古典客車
(右)無蓋貨車を改造した展望車

フィヒテルベルク鉄道の起点クランツァール駅へは、ザクセン南西部の中心都市ケムニッツから標準軌チョーパウタール線 Zschopautalbahn の連接気動車で行く。チョーパウ川 Zschopau が流れる狭い谷の中を曲がりくねりながら、アンナベルク・ブーブホルツ Annaberg-Buchholz を経由して約80分の長旅だ。線路はこの先、チェコとの国境を越えて続いているが、旅客列車は全便、クランツァールが終点になっている(下注)。

*注 2021年現在、夏のシーズンの週末にのみ、山地を横断し、チェコのホムトフに至る旅客列車が、観光企画として1日3往復運行されている。


標準軌列車でクランツァール駅に到着
 

かつてBVO鉄道が狭軌線の運営を引き継いだ際、その2年前(1996年)に廃止済みの貨物線を利用して、アンナベルク(下注)まで列車を延伸運行させるという構想が発表されたことがある。これは資金面の事情で実現しなかったが、標準軌列車は事実上、その代行を務めているようなものだ。エルツ山地に分け入る鉄道路線は、利用の減少から運行撤退が相次いでいて、アンナベルクとクランツァールの間は、狭軌線との接続のために存続しているといっていい。

*注 現在使われている「下駅 unterer bahnhof (unt Bf)」ではなく、東斜面の高みにあった貨物駅「上駅 oberer Bahnhof (ob Bf)」に発着する予定だった。

駅のプラットホームに降り立つと、古色蒼然とした木組みの片流れ屋根が、はるばるエルツ山地の最奥部までやって来たという感慨を誘う。この舞台装置にはやはり、現代的な連接気動車より古典蒸機が似合うだろう。その狭軌鉄道の列車は、同じホームの反対側に入ってくる。


同じホームの反対側に狭軌列車が入る
 

この駅を観察して興味深いのは、駅舎を越えて北側にも狭軌線の側線が並んでいることだ。つまり狭軌のヤードが、標準軌の線路と駅舎をはさんで両側にある。狭軌の列車は南側から駅に進入するので、北側ヤードへはわざわざ標準軌の線路を平面横断しなければならない。なぜ、このような配置になっているのだろうか。

狭軌線の建設当時、接続駅に必要とされたのは、貨物の積替えや、機関庫を含めた車両の滞泊のためのスペースだ。ところが現地は南側に斜面が迫っていて、十分な敷地の確保が難しかった。そこでやむなく駅の北側に盛り土して、ヤードを造成することにしたのだという。その後、旅客需要も増加したことから、1912年に南側の斜面を削って、今あるとおり、旅客列車用の側線を配置した。このように、北側は貨物、南側は旅客という使い分けをしていたのだ。


(左)駅の西側から東望
  右の狭軌線は旅客ホームへ
  左の狭軌線は、標準軌線と交差して貨物ヤードへ
(右)駅に通じる道路も横断、奥に貨物ヤードがある

(左)貨物ヤードにある静態保存のロールワーゲン
(右)狭軌台車に標準軌貨車を載せて運ぶ
 

それでは、オーバーヴィーゼンタール行きの狭軌列車に乗り込むとしよう。列車は、標高654mの始発駅から西向きに出発する。急な右カーブで鉄橋を渡っていく標準軌線とはすぐに分かれ、自身は左カーブでゼーマ川の谷(ゼーマタール Sehmatal)の上流に向かう。


旅客線での機回し風景

出発を待つ蒸機

西向きに出発
 

街道沿いに長く延びるノイドルフ村の裏手の高みを行くうち、ウンターノイドルフ Unterneudorf で最初の停車がある。木立ちに囲まれた棒線の停留所だ。さらに進み、撮影地の一つであるS字カーブの築堤を渡ると、村の中心部に位置するノイドルフ駅 Neudorf (Erzgeb) (下注)。ここは通過本線の横に、側線と待避線を備えている。

*注 正式駅名には、他の同名駅と区別するために、エールツゲビルゲ(エルツ山地)の略 Erzgeb がつく。


(左)ノイドルフ村の裏手の高みを行く
(右)S字カーブの築堤を渡る

S字カーブの築堤を行く
オーバーヴィーゼンタール行き列車

上の写真の左側
クランツァール行きは逆機運転
 

街道の踏切に続いて、小さなゼーマ川も渡って左岸へ。フィーレンシュトラーセ Vierenstraße は谷の奥、村一番の大きな機械工場の裏にぽつんとあり、フィヒテルベルクに北斜面からアプローチするハイカーたちが下車する。

ここからは峠越え区間で、蒸機も出力を上げる。駅を出た直後から1:27(37.0‰)の最大勾配が始まり、線路は山襞に沿って急な反向曲線を繰り返す。蒸機の奮闘ぶりが見ものだが、周りにドイツトウヒの森が迫るため、あまり見通しはきかない。


(左)出力を上げてフィーレンシュトラーセを出発
(右)ドイツトウヒの森の中の急坂
 

次のクレチャム・ローテンゼーマ Kretscham-Rothensehma 駅は、山腹の肩の緩斜面に位置している。路線のほぼ中間に当たるため、当初から列車交換駅として計画され、給水施設も設けられていた。今ある待避線はその名残だ。再び森に包まれて、残りの坂道を上っていくと、ものの数分で標高831mのサミットに達する。この後は軽い下り坂になる。

次のニーダーシュラーク Niederschlag もまだ森の中だが、現行ダイヤでは日中、上下列車の交換シーンが見られる。定時運行なら、上りクランツァール行きが先に入線して、下りオーバーヴィーゼンタール行きの到着を待つ。ちなみに上りホームにある長屋のような駅舎は、1948年にウラン鉱山の作業員輸送をする際、待合所として建てられたものだという。周囲に民家も見えない寂しい場所だが、賑わっていた時代もあるのだ。


ニーダーシュラーク駅の列車交換(2020年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

すでにペールバッハ川の谷(ペールバッハタール Pöhlbachtal)に入っていて、数分走るとようやく森が開け、のどかな山あいの農村風景が見えてくる。左の谷の向かい斜面は、チェコ領だ。その中腹をクランツァールから続く標準軌線が並行しているが、あちらも森を縫っているため、線路のありかは断片的にしかわからない。

近くにある石灰石と砂利の採取場からの貨物を取り扱っていたハンマーヴィーゼンタール Hammerunterwiesenthal 駅には、数本の側線が残っている。東ドイツ時代、採取場は狭軌鉄道にとって最大の顧客だったが、再統一の後、効率的なトラック輸送に切り替えられてしまった。

いつしか谷が狭まってきて、ペールバッハ川が手の届きそうなところを流れている。どこにでもある小川にしか見えず、中央にドイツとチェコの国境が通っているとは信じがたい。


ハンマーヴィーゼンタール駅
貨物扱いを止めた今も、側線が残る

(左)国境をなすペールバッハ川
(右)後方を撮影、小川の反対側はチェコ領
 

棒線停留所のウンターヴィーゼンタール Unterwiesenthal を過ぎると、列車はS字カーブでB95号線の踏切を横断する。斜面を最後の急勾配33‰で上っていく間、右手にフィヒテルベルク、左手にクリーノベツと、エルツ山地の二つの高峰を望むことができる。

列車は左へカーブしながら、橋を渡り始めた。長さ100m、高さ18mのヒュッテンバッハタール高架橋 Viadukt Hüttenbachtal、路線唯一の鋼製トレッスル橋だ。駅のすぐ近くで、蒸気列車の好撮影地として知られている。


(左)エルツ山地最高峰クリーノベツが見える
(右)ヒュッテンバッハタール高架橋に差し掛かる
  背景はフィヒテルベルク

ヒュッテンバッハタール高架橋
 

橋は、駅への取り付けランプになっていて、列車はそのままクーアオルト・オーバーヴィーゼンタール駅の構内に進入する。駅舎の壁に取り付けてある標高893.962mのプレートが示すように、ここはザクセン州はもとより、ドイツ北・中部で最も高所にある鉄道駅だ(下注)。

*注 ドイツ最高所の鉄道駅は、粘着式ではシュヴァルツヴァルト南部、ドライゼーン(三湖)線 Dreiseenbahn のフェルトベルク・ベーレンタール Feldberg-Bärental、標高967m。ラック式を含めると、バイエルンアルプスにあるツークシュピッツェ鉄道 Zugspitzbahn の終点シュネーフェルナーハウス Schneefernerhaus、標高2650m。

駅の下手が、落ち着いたたたずまいの市街地になる。上手の斜面にはスキーゲレンデが広がっている。時間が許すなら、フィヒテルベルク山頂へ行ってみたい。例のロープウェーの乗り場が坂道を600mほど上ったところにあり、乗り込めば、エルツ山地の壮大なパノラマが開ける山上までわずか3分半だ。


クーアオルト・オーバーヴィーゼンタールに到着
蒸機は機回し中

クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール駅舎(2010年)
Photo by Liesel at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

オーバーヴィーゼンタール市街
(左)マルクト広場(2015年)
Photo by Kvikk at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)市庁舎前のクリスマス・ピラミッド(2007年)
Photo by Ondřej Žváček at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

次回は、ヴァイセリッツタール鉄道を訪ねる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2013年4月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
フィヒテルベルク鉄道 https://www.fichtelbergbahn.de/

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2021年11月24日 (水)

ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道

レースニッツグルント鉄道 Lößnitzgrundbahn

ラーデボイル・オスト Radebeul Ost ~ラーデブルク Radeburg 間 16.490km
軌間750mm、非電化
1884年開通


ディッペルスドルフ池の築堤を渡る蒸気列車

ドレスデン中央駅 Dresden Hbf からマイセン Meißen 方面のSバーン(近郊列車)で15分、ラーデボイル・オスト(東)Radebeul Ost 駅に降り立つと、右隣に、時間を何十年か逆戻ししたような懐かしい光景が広がる。ここを起点にしている狭軌保存鉄道、レースニッツグルント鉄道 Lößnitzgrundbahn の乗り場とその構内だ。

Sバーンのホームが現代的な造りなので、よけいにそう感じるのかもしれない。年季の入った蒸気機関車や客車や貨車がぎっしり留め置かれ、発車時刻が近づくと、ホームに行楽の装いをした人がばらばらと集まってくる。


ラーデボイル・オスト駅の狭軌線構内(2019年)
Photo by Kevin.B at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

鉄道は、正式名をラーデボイル・オスト=ラーデブルク狭軌鉄道 Schmalspurbahn Radebeul Ost–Radeburg という。蒸気列車が古典客車を牽いて、ドレスデン Dresden 北郊の、森や牧草地や水辺のある田園風景の中を走り抜ける路線だ。大都市に近く、かつ沿線にワインの里や美しい離宮といったザクセン有数の観光地が点在することから、特に人気が高い。

今回は、ザクセンの狭軌鉄道のなかでもよく知られたこの路線を旅してみたい。なお、レースニッツグルント鉄道という名称は、マーケティング用に1998年に使われ始めたもので、歴史的には新しいが、本稿では過去に関する記述も含めてこの名称を用いる。


ラーデボイル~ラーデブルク間の地形図に
狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

まずは鉄道の歴史から。

ドレスデンの北20kmの田舎町ラーデブルク Radeburg に、それまでの郵便馬車に代わってこの狭軌鉄道が開通したのは、1884年9月のことだ。以前から町は、標準軌鉄道計画の経由地にも何度か挙げられていたものの、どれも実現には至らなかった。それだけに、列車を迎える町民の感激はひとしおだったはずだ。当初、混合列車が1日3往復設定され、全線を90分かけて走破した。


帝国時代のラーデボイル・オスト駅(1914年)
Image by Brück & Sohn Kunstverlag Meißen at wikimedia. License: CC0 1.0
 

20世紀に入ると、町に別の標準軌線の計画が持ち上がる。レーバウ Löbau ~リーザ Riesa 間を結ぼうとしたザクセン北東鉄道 Sächsische Nordostbahn で、1920年から実際に工事が始まった。設けられる新駅は町の北側だったので、ラーデブルク・ノルト Radeburg Nord、すなわち北駅と呼ばれた。

これに伴い、町の南に駅のある狭軌鉄道もそこへ接続するために、2.1km延伸されることになった。延伸線は1922年、標準軌線の工事列車を通すために、一足先に暫定開通している。だが、第一次世界大戦後の物価高騰がたたって、標準軌線の建設は1927年に中止となり、狭軌延伸線も正式開業されることなく、連絡鉄道になる夢はついえた(下注)。

*注 延伸線の廃線跡は、その後の土地区画整理やアウトバーン建設によりほぼ消失している。

第二次大戦後の東ドイツ時代には、本線自体も廃止の危機にさらされた。1964年に国が、今後10年間で国内のすべての狭軌鉄道を閉鎖するという決定を下したからだ。この影響で、保守作業は最小限となり、現場の人員も削減された。しかし、並行道路が未整備であることを理由に、レースニッツグルント鉄道の執行は後回しにされた。


マイセン通りを横断する蒸気列車(1989年)
Photo by Felix O at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

そうこうするうちに、狭軌鉄道を観光資源として活用しようとする動きが現れる。1973年に国は、沿線に行楽地などをもつ特定の路線を選定して、長期的に維持することを決定するが、その中にレースニッツグルント鉄道も含まれていた。ちなみに、このとき選定されたザクセン州の路線には他に、フィヒテルベルク鉄道 Fichtelbergbahn、ヴァイセリッツタール鉄道 Weißeritztalbahn、ツィッタウ狭軌鉄道 Zittauer Schmalspurbahn がある。

1974年には日常輸送の傍ら、愛好家のグループによって、古典機関車を使った初めての保存運行が行われた。この「伝統列車 Traditionszug」運行(下注)は、東ドイツで最初の試みで、その後も定期的に実施されていった。グループは、1990年に非営利団体「ラーデボイル伝統鉄道協会 Traditionsbahn Radebeul e. V.」を組織する。

*注 東ドイツでは旧型車両による運行を表現するのに、「Museum(ムゼーウム)」ではなく「Tradition(トラディツィオーン)」の語が好んで用いられた。今でも「Traditionszug(伝統列車)」「Traditionsbahn(伝統鉄道)」という言い方が残る。


ベルンスドルフ付近を走る伝統列車(2016年)
Photo by Traditionsbahn Radebeul at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

1989~90年の国家体制崩壊は、小さな狭軌鉄道にも多大な影響をもたらした。ラーデブルクの建材工場やガラス工場など主要顧客をあらかた失い、貨物輸送は1993年に全廃された。そのうえ、民営化で誕生したDB(ドイツ鉄道)は非採算の狭軌鉄道を整理する方針で、残る旅客輸送の中止も視野に置いていた。

しかし1998年に、地域の公共交通を一元的に管理するオーバーエルベ運輸連合 Verkehrsverbund Oberelbe (VVO) が財政的な保証を行ったことで、ひとまず運行は継続される。その後、鉄道の管理は2001年からDBの子会社に引き継がれ、最終的に2004年、BVO鉄道有限会社 BVO Bahn GmbHに移管された。

BVOはもともとフィヒテルベルク鉄道の運営のために設立された会社で、ヴァイセリッツタール鉄道と合わせて、この地域にある3本の蒸機保存鉄道を引き受けることになった。同社は2007年にザクセン蒸気鉄道会社 Sächsische Dampfeisenbahngesellschaft (SDG) と改称されて、現在に至る。


運営会社と鉄道のロゴ
GRUND(谷底の意)に合わせて文字列もへこむ

では、冒頭のラーデボイル・オスト駅に戻ろう。

とりあえず狭軌鉄道の切符を買いたいところだが、この駅には出札窓口がない。駅舎はSバーンのホームから見て狭軌駅の左奥に建っているのだが、もはや鉄道業務は行われておらず、地域のイベントホールや図書館、生涯学習施設に転用されてしまっている。そのため切符は、車内に巡回してくる車掌から購入することになる。

もっとも、公式サイトによれば、駅舎から150m先のハウプトシュトラーセ(大通り)Hauptstraße 沿いにあるラーデボイル市観光案内所では、乗車券を取り扱っている。その他、ヴァイセス・ロス駅(委託販売所)とモーリッツブルク駅でも購入できる。

運賃は区間制だ。1日乗車券 Tageskarte もあるが、片道および往復乗車券でも当日の途中下車 Unterbrechung が1回限り有効なので、終点まで買っておけば、途中でモーリッツブルク城に立ち寄るといった旅程は可能だ。


ラーデボイル・オスト駅舎(2013年)
Photo by X-Weinzar at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

ラーデボイル・オスト駅の狭軌線ホーム
 

鉄道の運行状況はどうか。

列車は通年運行されており、夏ダイヤの場合、ラーデボイル・オストからモーリッツブルクまで1日7本の体制だ。その先、ラーデブルクまでは3本に減る。土日は初便のラーデブルク行きが運休のため、それぞれ6本と2本になる。全線の所要時間は54分だ。

使用される蒸気機関車は、1930年前後に製造されたいわゆる「標準機関車 Einheitslokomotive」シリーズの99.73~76形と、1950年代の「新造機関車 Neubaulokomotive」99.77~79形の2形式だ。客車もオープンデッキつきの古典車で、1910~20年代に製造されている(一部は改造車)。また、夏のシーズンには、無蓋貨車を改造した展望車 Aussichtswagen が連結される。


(左)「標準機関車」99 1761機
  モーリッツブルク駅にて(2020年)
Photo by Manfred Schröter, Berga at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)「新造機関車」99 1777機
  ラーデボイル市街にて

(左)客車内部
(右)展望車(2009年)
Photo by Jörg Blobelt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

このように定期列車でも十分ヴィンテージものだが、さらに年に数日、特別列車が走る。ラーデボイル伝統鉄道協会が所有する1900~20年代の旧型蒸機、ザクセンIV K形(下注)が先頭に立つ「伝統列車」で、運賃も別建てになっている。

*注 IV は「第4」で開発順を示し、Kは「クラインシュプーア Kleinspur」すなわち小軌間(狭軌)を意味する。IV K でフィーア カーと読む。

なお、ラーデボイル・オスト駅構内の旧 貨物扱所 Güterboden は、狭軌鉄道博物館として協会所有の静態保存車両や資料を展示していたが、惜しくも2018年に閉館となった。


ザクセンIV K形蒸機
ヴァイセリッツタール鉄道フライタール・ハインスベルク駅にて
(2018年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ところで、鉄道の名になっているレースニッツグルントとは何だろう。確かにその名の停留所は実在するものの、森の谷間で、周りに住宅が数軒あるだけなのだが…。

まず、レースニッツ Lößnitz だが、これはラーデボイルの北に連なる断層崖の周辺を指す地名だ。そして何より、ザクセンの人々にとってはおいしいワインを連想させる。この急崖は水はけのいい南向きの斜面で、エルベ川の影響を受けて気候も温和だ。そのため、ブドウ栽培の適地になっていて、周辺にワイナリーが点在する。

次に、グルント Grund は英語の ground に相当し、ここでは谷底を意味する。レースニッツグルントは、すなわちレースニッツ地域で最も深い渓谷の名で、鉄道はそこを通って台地へ上っていくのだ。


レースニッツのブドウ畑の景観
左の建物は歴史的ワイナリーのホーフレースニッツ Hoflößnitz、
遠方の丘の中央はビスマルク塔 Bismarckturm、
その右にシュピッツハウス Spitzhaus
 

もっとも、地元では昔から狭軌鉄道(およびその列車)に対する別の呼び名がある。「レースニッツダッケル Lößnitzdackel」、略して「ダッケル Dackel」というのがそれだ。ダッケルはドイツ原産の猟犬ダックスフントのことだが、のろまという意味もあって、ずんぐりした形の客車を連ねて、のろのろと走る列車の姿をうまく捉えている。とはいえ、観光列車をマーケティングするのに、さすがにこれは使いにくかったのだろう。

さて、発車時刻になった。列車は西向きに出発する。最初、標準軌線と並走するが、S字カーブで道路を渡ると、次は緑の多い住宅街の街路に沿って進んでいく。

ほどなく減速し、カンカンと警報器の音が鳴り響くなか、広いマイセン通り Meißner Straße を斜めに横断した。通りの中央には、ドレスデン市電4号線の併用軌道が敷かれており、タイミングがよければ、狭軌列車の通過待ちをする低床トラムを見送れる。


マイセン通りを斜め横断

4号線の低床トラムも通過待ち
 

通りの北側には一つ目の駅、ヴァイセス・ロス Weißes Roß がある。ヴァイセス・ロスとは白馬のことで、駅に隣接する1789年築の由緒ある旅館にちなんだ名だ。市電4号線も西側の路上に停留所を置いている(下注)ので、復路ここで乗換えれば、トラムでドレスデン市内に戻ることができる。

*注 停留所名はランデスビューネン・ザクセン(ザクセン州立劇場)Landesbühnen Sachsen。


(左)ヴァイセス・ロス駅
(右)駅に隣接する白馬旅館(2007年)
Photo by de:User:VincentVanGogh at wikimedia. License: Public Domain
 

ヴァイセス・ロスからは、エルベ谷の段丘面(エルプテラッセ Elbterasse)に広がる閑静な住宅街を縫っていく。右手前方にちらちらと、ブドウ畑に覆われたレースニッツの段丘崖が見えてきた。斜面に刻まれた名物階段、397段のシュピッツハウス階段 Spitzhaustreppe を上りきれば、丘の上から眼下に横たわるエルベ谷が一望になるはずだ。


名物階段で丘の上の展望台へ

ビスマルク塔前の展望台から見る
エルベ谷のパノラマ
 

列車はレースニッツグルントの谷間に入っていく。谷川(レースニッツバッハ Lößnitzbach)と絡み合いながら、森の中をくねくねと上っていくと、例のレースニッツグルント停留所がある。今でこそ静かな場所だが、かつては待避線があり、列車交換が行われていた。また、1975年まで隣に「マイエライ行楽食堂 Ausflugsgaststätte Meierei(マイエライは農場、荘園の意)」という人気のレストランが営業していたので、停留所の利用者も多かったという。


(左)レースニッツグルント停留所
(右)レースニッツグルントの森を行く
 

森を抜けたところで、フリーデヴァルト・バート Friedewald Bad 駅(下注)に停車した。当初は近くの集落の名を取ってディッペルスドルフ Dippelsdorf と称したので、駅舎の壁には旧名が今も残されている。待避線を備えているが、残念ながら定期ダイヤでは列車交換が行われることはない。

*注 同名の駅と区別するために、正式駅名には旧郡名のドレスデン Dresden の語が括弧書きでつく。ただし現在の行政区分はマイセン郡 Landkreis Meißen。


(左)フリーデヴァルト・バート駅
(右)駅舎には旧名ディッペルスドルフの文字が
 

この後、列車はディッペルスドルフ池 Dippelsdorfer Teich を築堤で横断していく。この築堤は長さが210mあり、車窓風景のハイライトの一つだ。池は先刻、谷間を流れていたレースニッツバッハの源流に当たり、東西1.5km、南北0.5kmの広がりがある。


ディッペルスドルフ池の築堤を渡る列車

池の広い水面を二分する築堤
 

牧草地の中を直線的に進んでいくと、やがてモーリッツブルク Moritzburg だ。ここは中間駅どころか、中心駅というのが適切かもしれない。運行面では、1日の列車本数の半分以上がここを終点にしているし、営業面でも乗降客が集中する。というのも、ザクセンで指折りの美しい城館、モーリッツブルク城 Schloss Moritzburg の最寄り駅だからだ。


モーリッツブルク駅舎(2015年)
Photo by Dr. Bernd Gross at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

(左)モーリッツブルク駅に上り列車が入線
  上り(ラーデボイル・オスト方面)は機関車が逆向きになる
(右)駅の時刻表
 

城は、狩猟のための別邸として16世紀に築かれたが、18世紀に、ポーランド王でありザクセン選帝侯のアウグスト強健王 August der Starke によって拡張された。バロック様式の明るく優雅な外観はこのとき整えられたものだ。

町から続くシュロスアレー Schloßallee(城に通じる並木道)の延長線上で、狩りの城 Jagdschloss は、池の中に浮かぶように建っている。四方に円塔をもつ翼部を備え、どの側から見ても安定感のある造りだ。取り巻く敷地は広大で、北側にはフランス式庭園があり、東側は運河によって2km先の「雉の小城 Fasanenschlösschen」や灯台まで続いている。時間に余裕をもって巡りたい。


空から見たモーリッツブルク城(2014年)
Photo by Carsten Pietzsch at wikimedia. License: CC0 1.0

池を渡って城内へ通じるシュロスアレー
 

さて、列車はモーリッツブルクからさらに北東へ進む。大池 Großteich のほとりを通過するが、森に遮られて湖面はほとんど見えない。ベルンスドルフ Bärnsdorf 地内でS字カーブをしのいだ後は、再び北に針路をとり、牧草地の中を行く。右の車窓で工場の建物が目につくようになれば、ゴールは近い。

ラーデブルクは、側線を含め4本の線路が並ぶターミナルだ。といっても、駅舎は他の駅に比べてみずぼらしく、実際機能していない。最奥部に機関庫が見えるが、もっぱら伝統鉄道協会が使用しているという。

列車は、到着後すぐに機回し作業に移り、15分後には折り返す。1日にわずか2~3便では、町の散策までは難しく、ここまで乗車してきた人も大半はとんぼ返りする。ドレスデン方面へは路線バス(下注)で戻るという代替策もあるのだが、駅前を経由しないルートなので注意が必要だ。

*注 477および478系統。ラーデブルク市街西縁にあるバスセンター Busbahnhof を発着し、中心部のラートハウス(市役所)Rathaus などを経由する。時刻表、路線図は https://www.vvo-online.de/ にある。


ラーデブルク駅構内(2011年)
Photo by FlügelRad at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

ラーデブルク駅
(左)機回し作業を見守る乗客
(右)構内の奥に建つ機関庫
 

次回は、フィヒテルベルク鉄道を訪ねる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2013年4月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
レースニッツグルント鉄道 https://www.loessnitzgrundbahn.de/
ラーデボイル伝統鉄道協会 https://www.traditionsbahn-radebeul.de/

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 田村総業 田村 耐酸水切りスリング HMN-W015/N-1.5×3.5 MPWN1500350 1本 857-5894(直送品)
 ザクセンの狭軌鉄道-フィヒテルベルク鉄道

2021年11月 7日 (日)

ザクセンの狭軌鉄道-ムスカウ森林鉄道

ムスカウ森林鉄道 Waldeisenbahn Muskau

ヴァイスヴァッサー・タイヒシュトラーセ Weißwasser-Teichstraße ~バート・ムスカウ Bad Muskau
同上 ~クロムラウ Kromlau
同上 ~シュヴェーラー・ベルク Schwerer Berg
計 約20km、軌間600mm、非電化
1895年運行開始、1978年休止、1992年保存運行開業

軌間(線路幅)が600mmというのは、狭軌鉄道のなかでも最も狭い部類に入る(下注)。この軌間の鉄道はドイツでフェルトバーン Feldbahn(Feld は英語の field に相当)と呼ばれ、19世紀後半に鉱工業や林業など産業用の簡易軌道として広まった。フランスで開発され、組み立て式で設置が容易なことから世界的に普及したドコーヴィル軌道も同じ軌間だ。

*注 これより狭い軌間も営業路線として存在するが、ナローゲージ(狭軌)ではなくミニマムゲージ(最小軌)に分類されている。


ムスカウ森林鉄道の蒸気列車
バート・ムスカウ駅にて(2013年)
Photo by J.-H. Janßen at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

ザクセン州北東端に位置するバート・ムスカウ Bad Muskau 周辺でも、1895年、大地主だったヘルマン・フォン・アルニム伯爵 Graf Hermann von Arnim が、周辺の森林と鉱物資源を開発するために、これを導入している。彼は、森林を切り開き、褐炭や珪砂の採掘を行い、それらを原料にして製材所、製紙工場、レンガ工場、ガラス工場を操業させており、簡易軌道は原料や完成品の運搬に欠かせないものだった。

ムスカウ森林鉄道 Waldeisenbahn Muskau は、この産業路線が廃止された後、愛好家や地元自治体によって再建された約20kmのルートで運行されている観光鉄道だ。600mm軌間の路線は、ドイツのいくつかの都市で公園鉄道 Parkeisenbahn(下注)として生き残っているが、長いものでも10kmに満たず、規模ではとうていこれに及ばない。

*注 いずれも旧東ドイツのエリアのベルリン Berlin、コトブス Cottbus、プラウエン Plauen、ケムニッツ Chemnitz、ゲルリッツ Görlitz などに見られる。


(左)仕業前の調整
(右)客車と連結

伯爵が始めた軽便鉄道は、その後どのように展開していったのだろうか。

初めのうち、貨車を牽いていたのは馬だった。1年後にミュンヘンのクラウス Krauss 社から小型の蒸気機関車が届き、運行に供された。工場経営は順調で、わずか数年後には線路も85km以上に拡張されていたという。こうして最盛期には11両の蒸機が稼働する、多忙な路線網になった。しかし、第二次世界大戦の敗戦と連合軍占領により、産業会社は解体される。車両や軌道も、その多くが戦時賠償としてソ連に送られた。

戦後、ザクセンは東ドイツに属し、森林鉄道も1951年からドイツ国営鉄道 DR の管理下に置かれる。東ドイツ政府は、国内産業を再興するために、自給可能なエネルギー資源である褐炭の増産を図った。ムスカウ周辺でも鉱区が大きく拡張されて終夜操業となり、森林鉄道の車両群はフル稼働した。

この状況は1969年まで続いたが、この年、地区最大の鉱山が閉鎖されたことをきっかけに、輸送需要は急速にしぼんでいく。そして1978年3月、ついに森林鉄道は運行を停止した。不要となった機関車はドイツだけでなくヨーロッパ各地に売却され、蒸機99 3317だけが現地で記念物として保存用の台座に据え付けられた。


ヴァイスヴァッサーで静態保存されていた
蒸機99 3317(1977~90年の間に撮影)
Photo by anonym's grandma at wikimedia. License: Public domain
 

ただしこのとき、長さ約12kmのいわゆる粘土鉄道 Tonbahn だけはまだ使われていた。これは1966年に、東方ミュールローゼ Mühlrose の採掘場からヴァイスヴァッサー Weißwasser のレンガ工場まで、原料の粘土を運ぶために造られた路線だった。

森林鉄道の保存活動は、この残存路線を使って始まった。最初の特別運行が1984年に実行された。当初はレンガ工場の一角を借りて拠点にしていたが、1988年にのちの起点となるヴァイスヴァッサー・タイヒシュトラーセ駅が建設される。

1989~90年の国家解体に伴い、レンガ工場も閉鎖されてしまうが、地元自治体の主導で鉄道への支援は続けられた。旧東独地域に適用された雇用創出プログラムを利用して、路線の再建と車両の復元に必要な予算が確保できたことも幸運だった。


ヴァイスヴァッサー周辺の地形図に
狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

ルートは旧線の路盤を利用しながらも、DB駅に近いヴァイスヴァッサーと地元の観光地を結ぶ目的で新たに計画されている。最初に開通したのは、19世紀の領主が造った景観公園の前まで行くクロムラウ Kromlau 線で、1992年のことだ。小型ディーゼル機関車による運行だったが、鉄道復活を聞いて、愛好家だけでなく、観光客も多数訪れるようになった。

1995年には、蒸機99 3317を動態復活させて、保養地バート・ムスカウに至る2本目の路線が開通する。かつて町の南に駅があった標準軌の旧DR線(下注)は1977年に旅客営業を廃止しており、客を乗せた列車が現れるのは久しぶりだった。

*注 もとは1872年開業の、ヴァイスヴァッサーからトゥプリツェ Tuplice(ドイツ名:トイプリッツ Teuplitz)を経てルブスコ Lubsko(同 ゾンマーフェルト Sommerfeld)に至る路線。第二次大戦後、ナイセ川の国境設定により、運行はバート・ムスカウ止まりになった。2001年に貨物営業も廃止。

2010年には、第3の路線としてミュールローゼの粘土鉄道線を引き継いだ。しかし、露天掘り鉱山の区域拡張でルート変更が必要になり、2017年4月に、シュヴェーラー・ベルク Schwerer Berg に至る3.5kmの新ルートで運行が再開された。


粘土鉄道線の再開の日(2017年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

ムスカウ森林鉄道の列車が出発するのは、ヴァイスヴァッサー・タイヒシュトラーセ Weißwasser-Teichstraße 駅だ。DB(下注)のヴァイスヴァッサー駅前から、歩道に描かれた蒸機のイラストを頼りに北へ通りを歩いていくと、10分ほどで着く。林に囲まれた広く明るいホームをもつ、軽便線としては立派なターミナルだ。ホームの横で軽食堂も開いている。数本並んだ側線には貨車が多数連なっているが、これも保存車両の一部だ。

*注 現在、列車運行は合弁企業の東ドイツ鉄道 Ostdeutsche Eisenbahn (ODEG) が行っている。ヴァイスヴァッサーは、OE65系統(コトブス Cottbus ~ゲルリッツ Görlitz ~ツィッタウ Zittau)の途中駅。


ヴァイスヴァッサー・タイヒシュトラーセ駅
 

もともとここには、ヴァイスヴァッサー駅の構内から続く標準軌の貨物専用線があり、北側にあった工場施設へ引き込まれていた。また、それに並行して、もと森林鉄道で、後に粘土鉄道に転用された狭軌線も南西のレンガ工場から出てきて、北へ延びていた。今見るような狭軌鉄道駅は、標準軌の線路が撤去された後に改めて整備されたものだ。レンガ工場の跡地も、森林鉄道の車庫 兼 整備基地として再利用されている。

標準軌線が引き込まれていた北側の工場施設(下注)はしばらく廃墟状態だったが、2001年に博物館駅「アンラーゲ・ミッテ Anlage Mitte(中央施設の意)」として再生された。現在は、車両や各種資料を展示した森林鉄道の博物館と、地域のインフォメーションセンターになっていて、蒸気運行の日に公開される。

*注 東ドイツ時代の地形図では、ガラス工場と製紙(ボール紙製造)工場の注記がある。


博物館駅「アンラーゲ・ミッテ」

博物館の展示
(左)所狭しと並ぶ車両群
(右)5号機関車の姿も
 

ここで、森林鉄道の運行状況を押さえておこう。

運行日は4月~10月上旬の週末だが、7月最終週から9月第1週は夏の繁忙期として、週末のほか、火曜、木曜、金曜にも運行される。列車を牽くのは基本的に小型ディーゼル機関車で、2021年のダイヤでは1日3往復設定されている(博物館駅は無停車)。蒸気機関車は、原則毎月第1週の週末に登場する。それを目当てに客も集まるので、1日6往復と頻繁運転だ。

公式サイトで5両挙げられている動態保存機のうち、最古参は1912年ボルジッヒ Borsig 社製の4軸機関車「ディアーナ Diana」、車両番号99 3312だ。1977年に引退した後、ヴァイスヴァッサーで静態展示されていたが、1997~98年にマイニンゲンで改修を受けて現役に復帰している。

一方、99 3315と99 3317の2両は、いわゆる「旅団機関車 Brigadelokomotive」だ。第一次世界大戦中、戦地に敷かれる軍用簡易軌道 Heeresfeldbahn のために大量製造された形式車で、戦後は世界各地の民間鉄道に引き継がれた。よく似たダイヤモンド形の煙突をもち、車両番号もディアーナの続きだが、出自はまったく異なる。

客車にはオープンタイプ(側壁なし)とクローズドタイプがあり、いずれも貨車を改造したものだ。


鉄道のオリジナル蒸機99 3312

(左)旅団機関車 99 3315
(右)同 99 3317(2017年)
Photo by Kevin Prince at wikimedia. License: CC BY 2.0

改造客車はオープン型とクローズド型がある
 

運行ルートは上述のとおり3本に分かれている。東へ行くバート・ムスカウ線は、所要時間が片道30~35分、西へ進むクロムラウ線は20分だ。残るシュヴェーラー・ベルク線は西から南へ回り込む最も長いルートだが、日を限定した特別運行の位置づけで、蒸機による往復3時間のツアーとして実施される。

3つのルートはそれぞれ沿線に見どころがあり、終点の周辺には観光地も有している。順に見ていこう。

バート・ムスカウ線

列車は、博物館駅を出た直後、クロムラウ線を左に分けて、自らは直進する。森の中を少し走った後は、連邦道B 156号(ムスカウ通り Muskauer Straße)の横に出て、2km近く並行する。列車は最高時速でも25kmなので、隣を疾走する車には抜かれっぱなしだ。

やがて線路は、左カーブで道路からそれる。林と畑が交錯する間を行くと、列車交換用の側線をもつクラウシュヴィッツ Klauschwitz 停留所に停車する。すぐ先が、連邦道B 115号の踏切だ。森林鉄道の踏切は、標識があるだけの、日本でいう第四種踏切がほとんどだが、ここはさすがに遮断機が設置されている。ただし、手動式だ。車掌が客車から降りて、操作盤を開け、遮断棒を下ろす。

踏切通過の儀式が終わると、列車は巡航速度に戻る。また森の中に潜り込むが、それも長くは続かず、草野原の中の終点バート・ムスカウに到着する。すぐに機回しが行われて、列車は15分後の復路出発を待つ。


バート・ムスカウ線
(左)博物館駅に戻ってきた列車
(右)クラウシュヴィッツ停留所で、車掌が踏切閉鎖に向かう

バート・ムスカウ駅
 

バート・ムスカウには、市街地の東に隣接して、2004年に世界遺産に登録されたムスカウ公園 Muskauer Park(正式名はピュックラー侯爵公園 Fürst-Pückler-Park)がある。ヘルマン・フォン・ピュックラー=ムスカウ侯爵 Hermann Fürst von Pückler-Muskau が1815年から30年かけて作り上げた中欧最大のイギリス式庭園で、総面積は8.3平方キロと広大だ。

ラウジッツァー・ナイセ川 Lausitzer Neiße の広い氾濫原を利用し、森と水辺と人工物が古典主義の風景画のように配置されていて、その中心に、薔薇色の壁が印象的なネオルネッサンス様式のムスカウ宮殿 Schloss Muskau(新宮殿 Neues Schloss)がある。

第二次世界大戦後、ナイセ川に新たな国境線が引かれた結果、公園はドイツとポーランドに分割された。そのため、世界文化遺産の登録範囲も両国にまたがっているが、川に架かる二重橋 Doppelbrücke を通って自由に往来できる。


公園の中心、ムスカウ新宮殿(2014年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

(左)新宮殿西面(2016年)
Photo by Heigeheige at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)新宮殿正面

(左)ナイセ川の中州に渡された二重橋(2011年)
Photo by Schläsinger at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)今は国境の橋を兼ねる
 

森林鉄道の駅からこのムスカウ宮殿までは、市街地を経由して1.3km、歩いても15~20分というところだ。また、市街地とDBヴァイスヴァッサー駅の間には路線バス(下注)も走っているので、帰りはそれでDB駅まで戻ることも可能だ。

*注 オーバーラウジッツ地域バス Regionalbus Oberlausitz 250系統。公園の最寄りバス停はバート・ムスカウ・キルヒプラッツ(教会広場)Bad Muskau Kirchplatz。土日は本数が少なくなるので注意。

なお、森林鉄道の駅の東を流れるナイセ川には、上述した旧 標準軌線の魚腹アーチを連ねた鉄橋が残り、自転車道・遊歩道に利用されている。最近、青の塗料が塗られて「青い奇跡 Das Blaue Wunder」の名が付けられた。


(左)旧 標準軌線の魚腹アーチ橋
(右)自転車道に転用され「青い奇跡」に(2018年)
Photo by Wdwdbot at wikimedia. License: Public domain
 

クロムラウ線

クロムラウ行きの列車は、博物館駅の後、バート・ムスカウ線を見送って、左へ急カーブする。しばらく森の中を西へ進み、今度は右の急カーブで、シュヴェーラー・ベルク線と別れる。

ときおり森が開けて小さな湖が車窓をかすめるが、実はこれも注目点だ。地形的に、森林鉄道の沿線を含む約20km四方の地域は、北に開いた馬蹄形をした圧縮モレーン(氷堆石)から形成されている。ムスカウの褶曲アーチ Muskauer Faltenbogen(英語ではムスカウ・アーチ Muskau Arch)と呼ばれ、巨大な氷塊により圧縮されて褶曲したモレーンだ。

褶曲地層の高い部分は、後に氷河が前進したときに削られ、それにより露出した褐炭層が、酸化による体積の減少で溝状の湿地に変化した。こうしてできた湿地帯を舞台に、近代になって人間が鉱物資源を採掘し、森林鉄道で運び出した。その跡に水が溜まって、湖と化す。

空から見ると、一面の森の間に、東西方向に連なる細長い湖の列が数本並んでいるのがわかる。列は地層の褶曲による「しわ」を示すものだが、湖自体は自然の造形ではなく、人間の活動の痕跡なのだ。


空から見たムスカウ褶曲アーチ
採掘跡の湖が列を成す(2019年)
Photo by PaulT (Gunther Tschuch) at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

クロムラウ線
(左)小さな湖がときおり現れる
(右)クロムラウ駅の終端
 

終点のクロムラウ駅は、シャクナゲ公園 Rhododendronpark と呼ばれる景観公園の南のへりに造られたため、孤立したような場所にある。乗ってきた列車は5分後にさっさと折り返してしまうが、ここは列車を1本遅らせて公園散策に出かけたい。というのは、この先にラーコツ橋 Rakotzbrücke という必見の名所があるからだ。

ムスカウ公園のピュックラー侯爵と同時代人である大地主のフリードリッヒ・ヘルマン・レチュケ Friedrich Hermann Rötschke は、購入した地所の半分を公園として、さまざまな樹木を植え、一風変わった造形物を設置した。その一つが玄武岩と礫で造られた太鼓橋だ。細長い湖をまたいでいて、径間35mの半円が波静かな水面に映ると、完全な円に見える。その不思議な姿から、「悪魔の橋(魔橋)Teufelsbrücke」の別名がある。

クロムラウ駅からラーコツ橋までは、公園の遊歩道を通って約1.2km、15分ほどだ。


魔橋ラーコツ橋(2013年)
Photo by Michael aus Halle at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

シャクナゲ咲く湖のほとりに魔橋の展望地が(2017年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

シュヴェーラー・ベルク線

旧 粘土鉄道のこの路線は、クロムラウ線の途中にある分岐から始まる。ルートの見どころの一つ目は、旧 標準軌線(下注)のガード下をくぐる箇所だ。地下水位が高く、掘り下げた線路がしばしば冠水するため、列車は水の上を走る形になる。二つ目は、その先にあるスイッチバックで、機回し(方向転換するための機関車の付け替え)が行われる。このスイッチバックは急勾配対策ではなく、既存の路線網に追加接続する過程で生じたものだ。

*注 ヴァイスヴァッサー=フォルスト線 Bahnstrecke Weißwasser–Forst。1996年廃止。

ルートの後半は2017年に開業したばかりの新線区間で、森を抜け、広大な露天掘り鉱山のへりに沿って走っていく。終点のシュヴェーラー・ベルクでは、1時間の休憩がある。少し歩いて展望台に上れば、地の果てまで続くような露天掘りの現場を眺め渡すことができる。


(左)露天掘り鉱山のへりを走る(2017年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)シュヴェーラー・ベルクの展望台(2009年)
Photo by Frank Vincentz at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

次回は、レースニッツグルント鉄道を訪ねる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2014年5月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ムスカウ森林鉄道 https://www.waldeisenbahn.de/

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2021年10月25日 (月)

ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道

ドイツ東部のザクセン州には、旧東ドイツ時代を通して地方交通に貢献してきたナローゲージ(狭軌線)が比較的集中して残っている。かつて標準軌の鉄道網を補完してドイツ各地で見られたこうした路線も、今や貴重な保存鉄道として、過ぎし日のノスタルジーを呼び起こす存在だ。これから数回にわたり、その現況を訪ねてみよう。

ツィッタウ狭軌鉄道 Zittauer Schmalspurbahn

ツィッタウ Zittau ~クーアオルト・オイビーン Kurort Oybin 間 12.222km
ベルツドルフ Bertsdorf ~クーアオルト・ヨンスドルフ Kurort Jonsdorf 間 3.831km
軌間750mm、非電化
1890年開通


分岐駅ベルツドルフに揃う列車
 

ツィッタウ Zittau は、ザクセン州の南東端、ポーランドとチェコに隣接する人口約3万人の地方都市だ。クラシックな建造物が残る旧市街から500mほど北に、DB(ドイツ鉄道)の列車が発着する駅がある。バロック様式の気品漂うファサードをもち、主屋の左右に翼屋を配置した立派な駅舎だが、日中は往来も少なく、閑散としている。

駅の玄関に立つと駅前広場の左手に、赤い小屋根のかかるもう一つの駅舎が見える。これが、ナローゲージ蒸機が出発するツィッタウ狭軌鉄道の駅だ。一般に「ツィッタウ狭軌鉄道 Zittauer Schmalspurbahn」と呼ばれているが、正式には起終点名をとって、ツィッタウ=クーアオルト・オイビーン/クーアオルト・ヨンスドルフ狭軌鉄道 Schmalspurbahn Zittau–Kurort Oybin/Kurort Jonsdorf という。沿線自治体が出資するザクセン・オーバーラウジッツ鉄道会社 Sächsisch-Oberlausitzer Eisenbahngesellschaft (SOEG) が保有し、運行している。


DB ツィッタウ駅舎

狭軌鉄道駅
左が駅舎、ホームに続く屋根に蒸機通過用の天蓋部があるのが特徴
 

路線は非電化、750mm軌間で、ツィッタウからクーアオルト・オイビーン Kurort Oybin(下注、以下オイビーンと略す)に至る延長12.2kmの本線と、途中のベルツドルフ Bertsdorf で分岐してクーアオルト・ヨンスドルフ Kurort Jonsdorf(以下、ヨンスドルフと略す)に至る3.8 kmの支線がある。

*注 地名のクーアオルト Kurort は湯治場、療養地を意味し、各州の認定基準を満たした地域につけられる接頭辞。日本での「○○温泉」に相当する。


ツィッタウ周辺の地形図に狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

鉄道が開業したのは1890年のことだ。ツィッタウ南方の、当時オーストリア帝国領だったボヘミア(現 チェコ)との国境周辺に広がるラウジッツ山地 Lausitzer Gebirge(下注)の保養地を開発するために、ツィッタウ=オイビーン=ヨンスドルフ鉄道会社 Zittau-Oybin-Jonsdorfer Eisenbahn-Gesellschaft (ZOJE) により建設された。

*注 ラウジッツ山地のドイツ側は、ツィッタウ山地 Zittauer Gebirge とも呼ばれる。

ツィッタウ駅前には、すでに1883年から別の狭軌線、ツィッタウ=ライヘナウ狭軌鉄道 Schmalspurbahn Zittau–Reichenau が通じていた。ライヘナウというのは、ナイセ川 Neiße の東に位置する現 ポーランド領ボガティニャ Bogatynia のことだが、先述の狭軌鉄道駅 Schmalspurbahnhof は、実はこの発着駅として設けられたものだ。後発のツィッタウ=オイビーン=ヨンスドルフ鉄道は、それに乗り入れる形で運行されたので、駅は若干拡張されたものの共同使用、線路も1.6km先の分岐点まで共用していた。


ザクセン邦有鉄道の路線図(1902年)
青:ツィッタウ=ライヘナウ狭軌鉄道、赤:ツィッタウ狭軌鉄道
破線は当時の国境、ピンクは現在の国境
Base map from wikimedia. License: Public domain
 

当時は狭軌の地方路線が盛んに建設されており、ツィッタウ=オイビーン=ヨンスドルフ鉄道にも、ボヘミア側から鉄道の接続計画があった。しかし、資金調達に難渋する間に、競合する標準軌線が建設されたため、結局実現していない。

鉄道は1906年にザクセン王国に買収され、王立ザクセン邦有鉄道 Königlich Sächsische Staatseisenbahnen の一路線となった(下注)。この頃には休日や夏のシーズンを中心に旅行者で混雑が顕著になっており、輸送力増強のために、1913年にツィッタウ・フォアシュタット Zittau Vorstadt ~オイビーン間7.8kmの複線化が完成している。当時でも、複線運行する狭軌線は数少なかったという。

*注 運行は開業時から王立ザクセン邦有鉄道に委託されていたので、買収以前の邦有鉄道の路線図にも本路線の記載がある。なお、邦有鉄道は1924年にDR(ドイツ帝国鉄道)に統合された。

しかし、第二次世界大戦中、観光路線はレール供出の対象とされ、1943~44年に一部区間が、さらに廃線後の1945年に残り区間も、単線に戻されてしまった。


オイビーン山からの眺望(1919年の絵葉書)
下端にオイビーン駅が見える
Image by Brück & Sohn Kunstverlag Meißen at wikimedia. License: CC0 1.0
 

戦後、ザクセンは東ドイツに属したが、鉄道はDR(ドイツ国営鉄道)により引き続き運行されていた。ところが1981年に、沿線にある褐炭の露天掘り鉱山の拡張計画に支障するとして、10年後に廃止するという決定がなされる。具体的には、1990年の夏シーズン限りで旅客輸送廃止、1991年には貨物輸送も止める計画だった。

そのままでいけば、線路跡は今ごろ赤茶けた採鉱地に変わり果てていたに違いない。ところが、1989年に東ドイツの政治体制が崩壊したことで、計画はすんでのところで中止となった。


東ドイツ時代のツィッタウ狭軌鉄道駅(1989年)
Photo by Sludge G at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

1994年にDRと旧DB(西ドイツ国鉄)が統合民営化されると、新DB(ドイツ鉄道)は非採算の狭軌路線からの撤退方針を打ち出す。それに対してザクセン州は、観光輸送に活路を見出せるとして、独自の運行会社設立を支援した。これが現在の運行会社ザクセン・オーバーラウジッツ鉄道だ。同社は1996年12月1日に、DBからこの鉄道の資産と運行業務を引き継いだ。

では、現在のツィッタウ狭軌鉄道の運行状況はどうなっているだろうか。

4月~11月中旬は繁忙期 Hauptsaison とされ、平日に5~7往復、土日は8~9往復の設定がある。一方、11月中旬~3月の閑散期 Nebensaison はかなり縮小されて、2~4往復だ。

牽引するのは主として蒸気機関車で、1920年代後半から1930年代にかけて製造された99 73~99 76形が使われている。最大30‰の急勾配を上るため、750mm軌間用では最も強力な形式だ。

繁忙期の増発便ではディーゼル機関車が応援に入る。また、蒸気列車の一部には食堂車が連結されており、5月から10月の天気の良い日は、無蓋貨車を改造した展望車 offene Aussichtswagen の増結もある。


1933年製の蒸機99 758

(左)応援列車を牽くディーゼル機関車
(右)無蓋貨車を改造した展望車
 

運行パターンは特徴的だ。大まかにいえば、列車は日中、ツィッタウ、オイビーン、ヨンスドルフの3つの端点からほぼ同時に出発し、中間にあるベルツドルフ Bertsdorf で相互接続した後、再び3方向へ散っていく。

ツィッタウを中心に見ると、繁忙期の場合、1時間間隔でオイビーン行きとヨンスドルフ行きが交互に出発している。たとえば9時07分発はオイビーン行き、10時02分発はヨンスドルフ行きだ。

しかし前者(オイビーン行き)に乗ったとしても、ベルツドルフでヨンスドルフ行きの列車、すなわちオイビーン~ベルツドルフ~ヨンスドルフ間の通称「山シャトル Gebirgspendel」が待っている。そのため、乗換の手間を厭わなければ、どの方向にも1時間に1本の便があることになる。

所要時間は、ツィッタウ~オイビーン間、ツィッタウ~ヨンスドルフ間とも、蒸機牽引で44~49分だ。ディーゼルの場合はそれより5~6分短い。


3方向からの集合離散ダイヤ 模式図

さて、ツィッタウ駅から狭軌鉄道のルートを追おうと思うが、その前に、駅前広場を観察しておきたい。おもしろいことに、バスターミナルが整備された広場と駅前通りとの間に、狭軌の線路が走っているのだ。人も車も、通りに出る前にこの踏切を横断しなければならない。線路の行く先は、車庫のある機関区だ。駅前広場をはさんで、駅が東、機関区が西にあるというユニークな配置が、このルートを必要としている。


機関区への引込線が駅前広場の前を横切る
(左)駅から西望(右)反対側から
 

狭軌鉄道の駅舎には案内カウンターがあり、乗車券や絵葉書などを販売している。時間がなければ、乗車券は車内で車掌から買うこともできる。運賃は区間制で、距離にかかわらず途中下車は有効だ。割安な往復乗車券もあるが、支線にも寄り道するなら、1日乗車券 Tageskarte がいい選択肢になる。

では、線路を渡り、屋根付きの低い島式ホームから列車に乗り込もう。


ツィッタウ駅の旅客ホームと駅舎(2013年)
Photo by Jwaller at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

駅舎入口と内部

(左)ホームの腕木式行先標
(右)ツィッタウ駅を出発
 

ツィッタウ駅を出発すると、はじめ標準軌のリベレツ=ツィッタウ線 Bahnstrecke Liberec–Zittau と並走するが、まもなくそれを斜めに横断して、同線の北側(進行方向左側)に出た。

■参考サイト
Google Street view - 標準軌線を斜め横断
https://goo.gl/maps/3mNyT2d9a85VaFy99

平面交差にも驚くが、最終的に南へ向かうのに、なぜわざわざ北側に移るのだろうか。それは鉄道の成り立ちが関わっている。先述のように、ツィッタウ狭軌鉄道は、先行開業していたツィッタウ=ライヘナウ狭軌鉄道(以下、ライヘナウ線)への乗り入れから始まった。ライヘナウ線の目的地は標準軌線から見て北側なので、この横断が必要だった。ところが、1945年のドイツとポーランドの暫定国境線(オーデル・ナイセ線)画定に伴い、国境をまたぐことになったライヘナウ線は廃止されてしまう。後に残されたツィッタウ狭軌鉄道にとって、このルートは合理的ではないが、改築することもままならず、そのまま使っているのだ。

並走区間はなおも続くが、標準軌線は築堤の上に載り、狭軌線の列車からはもう見えない。最初の停車は、ツィッタウ停留所 Zittau Hp(下注)。これはライヘナウ線が開設したものを引き継いでいる。

*注 Hp は Haltepunkt(停留所の意)の略。


ツィッタウ停留所
標準軌線は左の築堤の上に
 

起点から1.6kmで、ライヘナウ線との旧 分岐点に達する。この後、列車は右カーブで標準軌線のナイセ川橋梁 Neißeviadukt のアーチをくぐり、再び南側に出た。そして、ツィッタウ市街の南縁を回り始める。ツィッタウ・ジュート(南駅)Zittau Süd を出ると、次の注目点、マンダウ川橋梁 Mandaubrücke にさしかかった。長さ43mの短い橋だが、何と中央で道路橋と平面交差している。つまり、上空から見ればX字の橋だ。この奇観は、1897年に行われたマンダウ川の流路直線化事業によって生じた。

ツィッタウ・フォアシュタット Zittau Vorstadt 駅は市街地の南端に位置し、広い構内に屋根付きの長いホームと何本かの側線が並ぶ。駅舎からホームへは地下道で渡るようになっており、かつて山地へ行楽に出かける市民の利用が多数あったことを窺わせる。


(左)標準軌線のナイセ川橋梁をくぐる
(右)中央で道路と交差するマンダウ川橋梁

ツィッタウ・フォアシュタット駅に入る列車
 

この後、列車は州道133号に沿って南下していく。集落と牧草地が交錯する郊外風景が続き、左側の緩斜面に上ると、いい撮影地がある。下の写真がそうだが、背景に写っている緑うるわしいオルバースドルフ湖 Olbersdorfer See は、東ドイツ時代に狭軌鉄道を廃止の危機にさらした褐炭採掘場の跡だ。再統一後、採掘は中止になり、景観修復が施されて、市民の憩いの場に生まれ変わった。

なお、最寄りのオルバースドルフ・ニーダードルフ Olbersdorf Niederdorf 停留所は、オイビーン・ニーダードルフ Oybin Niederdorf とともにリクエストストップ Bedarfshalt のため、乗降がなければ通過する。下車するなら、事前に車掌に伝えておく必要がある。


オルバースドルフ・ニーダードルフ停留所付近
背景は採掘地跡を景観修復したオルバースドルフ湖
 

オルバースドルフ・ニーダードルフ Olbersdorf Niederdorf 停留所の後、渡るオルバースドルフ橋梁 Olbersdorfer Brücke は、路線最長で124mある。しかし、またいでいるのは、川というより町並みだ。開業当時は街道と平面で交差していたのだが、交通量が多いことから、1913年の複線化に合わせて立体交差化された。橋台が異様に広いのは、複線だった名残だ。


路線最長のオルバースドルフ橋梁を渡る
 

オルバースドルフ・オーバードルフ Olbersdorf Oberdorf 出発後、列車は街道筋から右へそれ、勾配もきつくなった。右手に開ける風景に目をやるうちに、分岐駅のベルツドルフ Bertsdorf に到着する。森に囲まれた駅は、鉄道の運行拠点だ。かつて蒸機が集結していた機関庫を含め、歴史的な建物が数多く残されている。

ふだんは静かな構内だが、3方向からの集合離散ダイヤによって、1時間ごとに列車が島式ホームの両側に揃う。賑やかな交換風景や、名物となったオイビーン行きとヨンスドルフ行きの同時発車 Parallelausfahrt のシーンを捕えようと、鉄道ファンも多く訪れる。


ベルツドルフ駅構内図
施設名称の和訳を付記

ベルツドルフ駅の交換風景
9時07分、ツィッタウ方から始発のヨンスドルフ行き列車が到着

9時30分、2番列車のオイビーン行きが到着

ここで相互に乗換が可能
パンドウイット スタッドマウントナイロン結束バンド 耐熱性 黒 PLST50SC-D30 868-8055(直送品)
9時35分、ヨンスドルフ行きとオイビーン行きが同時発車
 

オイビーン方面へは左カーブで、30‰勾配の険しい坂を上っていく。トイフェルスミューレ Teufelsmühle あたりから、いよいよ谷が狭まるが、少し行くと空が開けて、早くも終点のオイビーン駅が近づいてきた。

駅構内は意外に広く、機回しや停泊が可能な側線がゆったりと取られている。駅舎はロマネスク風の屋根飾りをつけた印象的な建物で、レストランも営業中だ。一方、線路を挟んで駅舎の向かいにある煉瓦造りの貨物倉庫は、愛好家団体が運営する鉄道博物館になっていて、シーズン中、午後の時間帯に開いている。


オイビーン駅舎(2015年)
Photo by DCB at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

駅の裏手でひときわ目を引くのが、砂岩の層がごわごわと露出した標高515mのオイビーン山だ。皇帝カール4世の古城とケレスティヌス会修道院の廃墟があり、異形の山容とともにロマン主義の作家たちに好まれた。画家フリードリヒ Caspar David Friedrich にもここを題材にした作品がある。駅との比高は100mほどだ。上ること約10分、中世の雰囲気が漂う山頂からは、オイビーンの村全体が見渡せる。

■参考サイト
フリードリヒ:夢見る人(オイビーン修道院跡)Dreamer (Ruins of the Oybin)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Caspar_David_Friedrich_011.jpg


砂岩層が露出する異形のオイビーン山(2012年)
Photo by Moritz Wickendorf at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

オイビーン山の古城と修道院跡(2017年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

オイビーンに向かう列車
オイビーン山から北望(2018年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ベルツドルフに戻って、今度はヨンスドルフ方面に向かった。列車は右に急カーブした後、深い森の中をオメガループ(馬蹄形カーブ)で高度を稼ぐ。ヨンスドルフ停留所 Kurort Jonsdorf Hst(下注)で森を抜けると、今度は牧草地の斜面をゆっくりと上っていく。車窓からツィッタウ山地の緩やかな裾野を眺めているうちに、終点ヨンスドルフの駅に到着した。

*注 Hst は Haltestelle(停留所の意)の略。


ヨンスドルフ停留所上方
ツィッタウ山地の裾野を見晴らす
 

オイビーンに比べれば施設も少なく、やや寂しげな構内だ。ボヘミアとの接続で駅の移転計画があったことから、簡素な構造にとどめられたのだという。小ぢんまりした駅舎では現在、民宿が運営されていて、上階の部屋の窓から列車の発着が眺められる。駅の宿に荷をほどいて、山懐の保養地をのんびり散策するのもいいかもしれない。


ヨンスドルフ駅のVT137形気動車(2007年)
Photo by Rolf-Dresden at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

次回は、ムスカウ森林鉄道を訪ねる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2013年4月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ツィッタウ狭軌鉄道 http://www.soeg-zittau.de/
ツィッタウ狭軌鉄道愛好家連盟 Interessenverband der Zittauer Schmalspurbahnen e.V. https://www.zoje.de/

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2021年10月 8日 (金)

スイスの保存・観光鉄道リスト-南部編 II

前回に続いて、保存鉄道・観光鉄道リスト-スイス南部編に挙げた中から、主だった路線を紹介していこう。


山上駅へ向かうゴルナーグラート鉄道の電車(2013年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

「保存・観光鉄道リスト-スイス南部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_swisss.html


「保存・観光鉄道リスト-スイス南部」画面

項番27:フルカ山岳蒸気鉄道 Dampfbahn Furka-Bergstrecke (DFB)

メーターゲージの蒸気機関車が走る保存鉄道で、ブロネー=シャンビー Bloney-Chamby(項番:北部編31)と双璧をなすのが、アルプス山中にあるフルカ山岳蒸気鉄道だ。延長17.8kmの本格的な山岳路線で、アプト式ラックを使ってフルカ峠 Furkapass を越えていく。

ここは1982年のフルカ基底トンネル開通まで、氷河急行 Glasier-Express も通るフルカ・オーバーアルプ鉄道 Furla-Oberalp-Bahn の「本線」だった(下注)。列車名の「氷河」というのは、かつて峠の西側で車窓から見えたローヌ氷河 Rhonegletscher のことだが、近年はすっかり後退し、露出した岩壁を拝むしかなくなった。

*注 フルカ峠経由の旧線は、雪害を避けて冬季は運休していたので、最後の運行は前年(1981年)の10月11日に行われた。


HG4/4形704号機
フルカ峠トンネルの前で(2020年)
Photo by Markus Giger at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

とはいえ、氷河の爪痕であるダイナミックなU字谷の眺めは、今なお乗客を魅了するのに十分だ。ラック蒸機は、1942年の路線電化以前に活躍していたオリジナル機が集められ、懐古旅行の真正性を演出している。

保存鉄道は、レアルプ Realp とオーバーアルプ Oberalp の両端駅でフルカ・オーバーアルプ線(項番29)と接続しているので、復路は基底トンネル経由でショートカットできる。蒸機が2時間15分かける峠越えを、電車は20分前後であっけなく走破してしまう。

*注 鉄道の詳細は「フルカ山岳蒸気鉄道 I-前身の時代」「同 II-復興の道のり」「同 III-ルートを追って」参照。


グレッチュ駅のHG 3/4形1号機(2006年)
Photo by Marcin Wichary at flickr.com. License: CC BY 2.0
 

項番28~30:マッターホルン・ゴットハルト鉄道 Matterhorn Gotthard Bahn (MGB)

MGBのフルカ・オーバーアルプ線 Furla-Oberalp-Bahn (FO) とブリーク=フィスプ=ツェルマット線 Brig-Visp-Zermatt-Bahn (BVZ) は、ブリーク Brig のSBB駅前で接続している。もとは別会社だが、設立の経緯からして兄弟路線だ。後者(当時は VZ)は、難産だった前者の全通を支援し、運行も30年以上にわたり請け負っていた。両鉄道は2003年に合併し、マッターホルン・ゴットハルト鉄道 Matterhorn Gotthard Bahn (MGB) と名乗るようになった。

フルカ・オーバーアルプ線(項番29)には、名称のとおり、フルカ峠とオーバーアルプ峠 Oberalppass という二つの峠越えがある。前者は基底トンネルに置き換えられてしまったが、後者はアンデルマット Andermatt の東に、開通当時のままのルートで使われている。峠まで600m近くある高度差をヘアピンで上っていく間、ウルゼレン Urseren の船底形の谷間が見下ろせる。氷河急行の車窓名所の一つだ。


オーバーアルプ峠に向かう氷河急行
ネッチェン付近(2007年)
Photo by Champer at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

アンデルマットではシェレネン線 Schöllenenbahn(項番28)が分岐し、SBB(スイス連邦鉄道)ゴットハルト線のゲシェネン Göschenen 駅に向けて降りていく。アプト式ラックで勾配179‰、トンネルとギャラリー(覆道)が連続するルートは、登山鉄道顔負けの険しさだ。隣を走る道路がヘアピンを繰り返しながら下っているのを見れば、それが実感できる。

鉄道が通過していくシェレネンの峡谷は、そそり立つ不安定な岩肌と足元にほとばしる急流で、昔からゴットハルトの峠越えきっての難所だった。「悪魔の橋 Teufelsbrücke」の伝説に彩られた、谷をまたぐ古い石橋が車窓からもよく見える。

*注 鉄道の詳細は「MGBシェレネン線と悪魔の橋」参照。


悪魔の橋付近の勾配路(2011年)
Photo by Хрюша at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ブリーク=フィスプ=ツェルマット線(BVZ、項番30)は、アルプス観光でユングフラウ地方と人気を二分してきたツェルマット Zermatt へ旅行者を連れていく。ブリークからは約1時間半の旅になる。

列車が遡るのは、ローヌの支流フィスパ川 Vispa の谷だ。初めは穏やかだが、谷が二手に分かれるシュタルデン Stalden から奥では勾配が強まり、ラック区間が数か所ある。1991年の大規模な地滑りで谷が埋まったランダ Randa 付近では、2.9kmにわたって線路が移設されている。危険個所を避けるために対岸の扇状地を上り、また降りるという力業は、ラック鉄道ならではだ。

ツェルマットには車の乗り入れができない。そのため、一つ手前のテッシュ Täsch 駅前に大駐車場があり、車を預けた旅行者のために、20分間隔でシャトル列車が出発する。早朝は言うに及ばず、週末は深夜も運行されて24時間体制だ。


ノイブリュックの石橋
© 2021 www.bvzholding.ch
 

項番31:ゴルナーグラート鉄道 Gornergratbahn (GGB)

ツェルマットを訪れた旅行者がまず行きたいと思うのは、秀峰マッターホルン Matterhorn がきれいに見える展望台だろう。ケーブルカーやロープウェーで行ける展望台がほかにもあるとはいえ、やはりゴルナーグラート鉄道は外せない。

長さ9.34km、三相交流電化の鉄道は、アプト式ラックで最大200‰の急勾配を上っていく。町裏の谷壁に張り付いている間も、ピラミッド形の岩山は木の間越しに見えているのだが、リッフェルアルプ Riffelalp を過ぎると森林限界を超え、眺望を遮るものがなくなる。

標高3089mのゴルナーグラート山上駅はユングフラウヨッホ Jungfraujoch に次ぐ高所にあり、周囲には、スイス最高峰のモンテ・ローザ Monte Rosa 山塊をはじめ、4000m級のピークが30以上も連なる。天気のいい日なら、このまま戻るのは惜しく、つい周辺を歩いてみたくなる。一帯は岩だらけだが、雪が積もると人気のスキーエリアに変貌する。鉄道の利用者も夏より冬のほうが多いそうだ。


リッフェルベルク駅とマッターホルンの眺め(2016年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番34:チェントヴァッリ鉄道 Ferrovia delle Centovalli

スイストラベルパスの利用者にとってこの鉄道は、シンプロン線と合わせて、スイス国外を経由する回廊ルートとして重宝されている。南部のヴァリス Wallis(ヴァレー Valais)州とティチーノ Ticino 州の間を鉄道で行くとすれば、これが最短ルートになるのだ。

チェントヴァッリ鉄道は、ロカルノ Locarno とイタリアのドモドッソラ Domodossola を結んでいて、東半分はスイス領だが、西半分はイタリア領を通っている(下注)。百の谷を意味するチェントヴァッリも、実はスイス側での呼称に過ぎない。イタリアではその続きの谷をヴァッレ・ヴィジェッツォ(ヴィジェッツォ谷)Valle Vigezzo と呼ぶため、鉄道の愛称も「ヴィジェッツィーナ Vigezzina」だ。

*注 運営会社は、スイス側がティチーノ地方交通 Ferrovie autolinee regionali ticinesi (FART) 、イタリア側がアルプス山麓鉄道事業 Società subalpina di imprese ferroviarie (SSIF)。

ロカルノ市街地はかつて路面軌道だったが、1990年の地下トンネル化により、所要時間の短縮が図られた。イントラーニャ Intragna の手前でアーチ鉄橋を渡った後は、チェントヴァッリの峡谷に入る。国境の先で一転谷は穏やかになるが、それもサミットを越えるまでだ。後は再び勾配60‰、半径50mの厳しいヘアピンルートで、眼下に広がるオッソラ Ossola の谷底平野へ降りていく。


イゾルノ川の鉄橋、イントラーニャ付近(2011年)
Photo by NAC at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番36~39:シャブレー公共交通 Transports publics du Chablais (TPC)

1999年にシャブレー公共交通 TPC として統合された4路線は、粒ぞろいの登山線だ。これらの鉄道群はいずれも、ローヌ谷を走るSBB線から、周囲の山に点在する避暑地、保養地への足として建設されている。

そのうち3路線が、SBBエーグル Aigle 駅前から出発する。エーグル=レザン線 Ligne Aigle-Leysin(AL、項番36)は、延長6.2kmで4路線では最も短い。小さな市街地を路面軌道で抜けた後、車庫前でスイッチバックし、レザン・グラントテル Leysin-Grand-Hôtel まで約1000mの高度差を一気に上っていく。アプト式ラック鉄道とはいえ、230‰の急勾配はほとんどケーブルカーの感覚だ。終点名になっているグラントテル Grand-Hôtel はかつて高地療養施設だったが、その後、アメリカンスクールに転用されて現在に至る。


エーグル市街地の路面軌道(2009年)
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

エーグル=セペー=ディアブルレ線 Ligne Aigle-Sépey-Diablerets(ASD、項番37)も、エーグル市街地を路面軌道で抜けるのは同じだ。しかし、4路線で唯一、ラックを使用しない。そのため、町を出てからは60‰勾配のヘアピンルートで山にとりつく。たどる山腹は、レザン線の谷向かいに当たる。ル・セペー Le Sépey でスイッチバックした後は、穏やかな谷間を走り続け、起点から約50分でレ・ディアブルレ Les Diablerets の町に到着する。

ラック式を選択しなかったのは、この後ピヨン峠 Col du Pillon を越えて、グシュタード Gstaad でモントルー=ベルナー・オーバーラント鉄道(北部編 項番29)に接続する計画があったからだ。しかし結局、実現せずに終わった。


レ・ディアブルレ山塊を背にして
ファベルジュ停留所付近(2012年)
Photo by at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

東へ向かう上記2線に対して、エーグル=オロン=モンテー=シャンペリー線 Ligne Aigle-Ollon-Monthey-Champéry(AOMC、項番38) は、南に針路をとる。駅の直後にあったディアブルレ線との平面交差は、2006年のルート変更で解消された。オロン Ollon からローヌ谷を横断して、モンテー・ヴィル Monthey-Ville までが、ルート前半の平坦線だ(下注)。

*注 かつてCFFモンテー駅前まで路面軌道で続いていたが、1976年に廃止。現在のモンテー・ヴィル駅は1986年に移転新築されたもの。

後半はイリエ谷 Val d'Illiez を遡るため、ラックレールの出番になる。いったんエーグル方面に戻って左へ分岐すると、やおら最大135‰の勾配で斜面を上っていく。モンテー市街地やローヌの谷底平野を見晴らす景勝区間だ。左手の山並みの背後に、ときおり名峰ダン・デュ・ミディ Dents du Midi の鋸歯が姿を見せる。ラック区間は計3か所あり、終点シャンペリー Champéry では標高1035mに達する。


モンテー・ヴィル駅を後に(2009年)
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

TPC 4線の中でベー=ヴィラール=ブルテー線 Bex-Villars-Bretaye(BVB、項番39)だけは、エーグルの南8kmのベー Bex 駅前が起点だ。最初は同じような路面軌道だが、道幅が狭いため、電車は両側の建物に挟まれるようにして走る。郊外のベヴュー Bévieux からはラック区間で、標高1131mのグリオン Glion までぐいぐい上る。グリオンからヴィラール・シュル・オロン Villars-sur-Ollon へは再び粘着線で、一部は路面軌道になっている。

ヴィラールで列車は乗換えだ。残りの区間は時刻表番号が異なり、別線の扱いになっている。というのも沿線にもはや集落がなく、利用するのは、夏なら主としてハイカーかゴルフ客、冬はスキー客だからだ。全線ラック区間で、終点コル・ド・ブルテー(ブルテー峠)Col-de-Bretaye は標高1808m。山頂が間近に見え、もちろん4路線では最高地点になる。


コル・ド・ブルテー駅付近(2016年)
Photo by KlausFoehl at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番40:TMR マルティニー=シャトラール線 TMR Ligne Martigny-Châtelard (MC)

ローヌ谷のマルティニー Martigny から、メーターゲージの列車がフランスのシャモニー・モン・ブラン Chamonix-Mont-Blanc 方面へ向かう。国境までは、マルティニー地方交通 Transports de Martigny et Régions (TMR) の運行だ。地形はスイス側のほうがはるかに厳しく、峡谷の肩にとりつくために2.5kmのラック区間がある。勾配200‰、半径80mのヘアピンルートで、車窓に映るローヌ川の平底の谷がみるみる沈んでいく。

集電方式もユニークだ。もとは根元のマルティニー~ヴェルネア Vernayaz 間だけが架空線式で、ほかはフランス側も含めて第三軌条(コンタクトレール)方式だった。しかしスイス側は、1990年代にラック区間を除いて架線集電に改築され、レールだけが延びるフランスとは対照的な鉄道風景になっている。


トリアン川鉄橋、ヴェルネア駅付近(2010年)
Photo by ChrisJ at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番26:SBB ゴットハルト(ゴッタルド)線 SBB Gotthardbahn/FFS Ferrovia del Gottardo

標準軌(1435mm軌間)の山岳路線にも触れておこう。ゴットハルト(ゴッタルド)線は、スイスアルプスを最初に縦断した歴史を持つSBBの主要幹線だ。ゴットハルト Gotthard はドイツ語、ゴッタルド Gottardo はイタリア語で、トンネルの上にある峠の名だが、日本語としては後者になじみがあるかもしれない。

路線の全長は206km、ルツェルンに近いインメンゼー Immensee が起点で、長さ15003 mのゴットハルトトンネルを経由して、イタリア国境手前のキアッソ Chiasso が終点になる。といっても、線路は国境を越えて続いており、スイスを通過してドイツとイタリアを結ぶ貨物列車も頻繁に通行する。そもそもこの鉄道は、計画段階からスイスだけでなくドイツとイタリアの政府が関与し、建設資金も共同で投じた国際事業だったのだから、当然のことだろう。


ヴァッセン付近を行く貨物列車
右端にヴァッセンの教会が見える(2016年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

ルートは当時の技術の粋を凝らしている。高度差は、北斜面で約650m、南斜面で900mとかなりのものだ。そのため、北側では、プファッフェンシュプルング Pfaffensprung のスパイラルの後、ヴァッセン Wassen 付近で大規模なS字ループを構える。走行する列車から、ヴァッセンの教会が角度を変えて3回見えることで有名だ。南側にもスパイラルが4か所あり、うち下部2か所はビアスキーナ・ループ Biaschina-Schlaufen と呼ばれる二重スパイラルで、撮影名所にもなっている(下の写真)。

かねてより貨物輸送のモーダルシフトを促すために、高速新線の建設が進められていたが、2016年に、長さ57.1kmのゴットハルト基底トンネル Gotthard-Basistunnel が開通した。続いて2020年には、ベリンツォーナ Bellinzona ~ルガーノ Lugano 間でも、長さ22.6kmのチェネリ基底トンネル Galleria di base del Ceneri が完成した。以来、優等列車や貨物列車はこれらの新線経由に切り替えられた。その結果、旧線に来るのは1時間ごとの快速列車だけになり、複線の立派な施設が半ば遊休化している。


ビアスキーナ・ループ(2020年)
Photo by SOB Suedostbahn at flickr.com. License: CC BY 2.0
 

項番23:BLS レッチュベルク線(レッチュベルク山岳線)BLS Lötschbergbahn (Lötschberg-Bergstrecke)

レッチュベルク線はSBBの路線ではなく、ベルン州と連邦が大株主のBLS社(下注)が運営している。もともとゴットハルト鉄道のルートから外れたベルン州が、巻き返しのために計画したフランスとイタリアを結ぶ幹線ルートの一部だ。連邦政府がゴットハルトとの競合を警戒して出資を渋ったため、パリ財界の支援で着手できたといういきさつがある。

*注 BLSは、もとの社名ベルン=レッチュベルク=シンプロン Bern-Lötschberg-Simplon の略称を正式社名にしたもの。


カンダー川高架橋(旧橋)
フルーティゲン南方(2009年)
Photo by Satoshi T. at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

ベルンアルプスを横断する長さ14.6kmのレッチュベルクトンネルは、坑道崩壊でルート変更を余儀なくされる難工事(下注)の末、1913年に開通した。トンネル入口までの高度差が北斜面で570m、南斜面で540mと大きく、そのため、北側ではヴァッセンによく似たS字ループ、南側ではローヌ谷の谷壁に沿う長い傾斜路がある。とりわけ後者は、ローヌ谷が眼下に広がる絶景区間としてよく知られている。

*注 詳細は「レッチュベルクトンネルの謎のカーブ」参照。

こちらも2007年にレッチュベルク基底トンネル Lötschberg-Basistunnel が開通したことで、旧線は1時間に1本のローカル線となった。新線と区別するために、レッチュベルク山岳線 Lötschberg-Bergstrecke とも呼ばれる。

しかし、ゴットハルト線と事情が異なるのは、並行する自動車道がないことだ。そのため、トンネルを挟んだカンダーシュテーク Kandersteg ~ゴッペンシュタイン Goppenstein 間(下注)で運行されてきた、車を運ぶカートレイン Autoverlad は健在だ。今後、山岳線の存在価値はこの機能に集約されていくような気がする。

*注 シンプロントンネルのイタリア側出口の駅、イゼッレ Iselle まで行く中距離便もある。


ビーチュタール鉄橋(2007年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0

リストでは、ケーブルカーもいくつか挙げた。

シャーロック・ホームズの故地へ行くライヘンバッハ滝鉄道 Reichenbachfall-Bahn(項番14、下の写真)、スイス最古の歴史を誇るギースバッハ鉄道 Giessbachbahn(項番17)、世界最急勾配を争うシュトース鉄道 Stoosbahn(項番7)とゲルマー鉄道 Gelmerbahn(項番15)、世界最長ルートのSMCケーブルカー Funiculaire SMC(項番25)、3種の鉄軌道を乗り継いで上るベルティカルプ・エモッソン Verticalp Emosson(項番41)など、いずれ劣らぬユニークさが売り物だ。

高所へ行く乗り物だから当然、到達先で得られる眺望も期待に背かない。鉄道旅行の合間に、こうした小施設を訪ねるのも思い出に趣を添えるのではないだろうか。


ライヘンバッハ滝鉄道の古典車両
© 2021 www.sherlockholmes.ch
 

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 イタミアート マンゴー のぼり旗 0100065IN(直送品)

2021年10月 2日 (土)

スイスの保存・観光鉄道リスト-南部編 I

保存鉄道・観光鉄道-スイス南部編のリストには、アルプスの山中と、イタリア国境に接する地中海斜面の鉄道群を挙げている。見渡せば、名だたる観光路線がずらりと並んでいて壮観だ。スイス旅行に出かけたことがある人なら、そのうちのいくつかに乗車した思い出をお持ちに違いない。


ラーゴ・ビアンコのほとりを行くベルニナ急行
オスピツィオ・ベルニナ駅南方(2017年)
Photo by Zacharie Grossen at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

対象とした地域は3000~4000m級の山脈が東西に連なり、ヨーロッパでも特に地勢の険しいところだ。路線の多くが、小回りが利き、経済的なメーターゲージ(1000mm軌間)などの狭軌規格で建設されている。また、高度差を克服するためにラックレールが多用され、粘着式でも60~70‰といった急勾配が珍しくない。

全容はリストをご覧いただくとして、ここでは主な注目路線(有名どころが多くなるのは避けがたいが)を挙げていこう。

「保存・観光鉄道リスト-スイス南部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_swisss.html


「保存・観光鉄道リスト-スイス南部」画面

項番1~6:レーティッシュ鉄道 Rhätische Bahn (RhB)

まず、東のグラウビュンデン州 Kanton Graubünden にはレーティッシュ鉄道(下注)の特色豊かな路線網がある。州都クール駅の標高は584m、サン・モリッツ駅は同 1775m、ベルニナ線にある最高地点は同 2253mだ。これほどの高度差にもかかわらず、この鉄道はラックレールを用いず、レールと車輪の粘着力だけで急勾配の難路を克服する。

*注 鉄道名、路線名はユネスコ世界遺産の和訳に従う。なお、rhätische(レーティッシェと読む)は、古代地名ラエティア Raetia のドイツ語「Rätien(レーツィエン)」の形容詞形で、「グラウビュンデンの」と同義。


ダヴォス・プラッツ=フィリズール線のヴィーゼン高架橋(2009年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

最初に造られたのはダヴォス線 Davoserlinie(項番3)だが、構想段階ではラック式かスイッチバックで高度を稼ぐことになっていた。ところが、1882年に開通したゴットハルト(ゴッタルド)鉄道 Gotthardbahn の成功に刺激を受け、効率的な運行が可能な粘着式の通過線に切り替えたのだという。クロスタース Klosters 駅が当初スイッチバック駅だったのは、原計画の名残らしい。これも1932年にオメガループのトンネルに置き換えられて、今は存在しない。


クロスタース駅に進入する列車
かつてのスイッチバックはオメガループのトンネルで解消(2015年)
Photo by Patrick Nouhailler's… at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

世界遺産にも登録されたアルブラ線 Albulabahn(項番1)は、確かにゴットハルト鉄道の狭軌版だ。二重スパイラルやベルギューン Bergün 南方のヘアピンルートなど、生き写しのように見える。

さらに同線には、長さ136m、高さ65mのラントヴァッサー高架橋 Landwasserviadukt というランドマークがある。背が高く細身で、かつ急カーブを描きながら断崖絶壁に突き刺さる光景は、まるで幻想画の世界だ。最寄りのフィリズール Filisur 駅から遠くないので、途中下車して、展望台や橋の直下へ、ハイキングがてら見物に出かけるのもいいだろう(下注)。

*注 シーズン中は、駅からラントヴァッサー急行 Landwasser-Express と銘打った遊覧バスも出ている。


ラントヴァッサー高架橋遠望(2018年)
Photo by Geri340 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

同じく世界遺産のベルニナ線 Berninabahn(項番6)は、レーティッシュ鉄道の路線網で少し異色の存在だ。というのも、電化方式が他線の交流に対して直流のため、車両が基本的に線内限定で運用されてきたからだ。それが世界遺産効果で、今やベルニナ急行 Bernina Express は5往復まで増便、交流区間に乗入れ可能な交直両用電車が投入されている。

この路線の魅力は、変化に富んだルートと沿線風景の素晴らしさだ。アルプスに抱かれた湖のほとりのオスピツィオ・ベルニナ Ospizio Bernina(冒頭写真参照)から、イタリアの町ティラーノ Tirano まで高度差は実に1824m。その間にU字谷の壁をジグザグに降下し、オープンスパイラルを回り、市街地の路面軌道で車と並走する。乗り通せば2時間10分以上かかるが、少しも長いと感じさせない。


名所モンテベッロ・カーブ Montebello-Kurve
背景はモルテラッチュ氷河(2012年)
Photo by Hansueli Krapf at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

ブルージョ・ループ橋(2012年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0

ティラーノ聖母教会前の広場を横断(1992年)
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

観光客が集中するアルブラ、ベルニナに比べて、アローザ線 Arosabahn(項番2)は知る人ぞ知る存在かもしれない。しかし、これもまた魅力の詰まったルートだ。クール駅前からは路面軌道で出発する。町を離れると、早くも深い谷間で、列車はじりじりと高度を上げていく。

列車は左斜面の高みを走っていくが、中盤で谷を横断して右斜面に位置を移す。そこに架かっているのがラングヴィース高架橋 Langwieser Viadukt だ。長さ284m、高さ62mの優美なコンクリートアーチ橋で、同線のシンボル的構造物になっている。線路が橋のたもとで90度カーブしているおかげで、往路、ラングヴィース駅にさしかかる車窓から、その姿を遠望するチャンスがある。


ラングヴィース高架橋(2011年)
Photo by Martingarten at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番8~9:リギ鉄道 Rigi-Bahnen (RB)

次は、中央スイス Zentralschweiz に目を向けよう。フィーアヴァルトシュテッテ湖 Vierwaldstättersee、別名ルツェルン湖を中心とするこの地域は、スイス建国の故地でもある。1856年にルツェルン Luzern まで鉄道が到達し、フランス、ドイツなど国外からの旅行者が多数訪れるようになった。

アルプスの展望台として人気が高まっていたリギ山 Rigi に、ニクラウス・リッゲンバッハ Niklaus Riggenbach が考案したヨーロッパ最初のラック鉄道が開業したのは1871年のことだ。フィッツナウ・リギ線 Vitznau-Rigi-Bahn(項番8)が先行し、アルト・リギ線 Arth-Rigi-Bahn(項番9)が後を追った。


縦型ボイラーの保存機7号が
フィッツナウ・リギ線の急勾配を行く(2009年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

前者は湖畔の町フィッツナウ Vitznau が起点で、ルツェルンからの船便がある。一方、後者の起点は山の反対側にあるアルト・ゴルダウ Arth-Goldau で、SBB(スイス連邦鉄道)線が接続している。

鉄道旅行者はアルト・リギ線を使うが、リギ山の主要な登山口は本来、湖側(下注)だ。そして登山鉄道の車窓も、湖の展望が開けるフィッツナウ・リギ線がはるかにいい。ルツェルンからフィッツナウへは船で約1時間、途中、ルツェルンの交通博物館 Verkehrhaus 前にも寄港する。片道をこちらにすれば一味違った周遊コースになるだろう。

*注 登山鉄道開通以前、陸路ではキュスナハト Küssnacht、航路はヴェッギス Weggis が主な登山口だった。


両線が合流するリギ・シュタッフェル駅
赤の電車はフィッツナウ・リギ線、青はアルト・リギ線(2011年)
Photo by Bobo11 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

*注 鉄道の詳細は「リギ山を巡る鉄道 I-開通以前」「同 II-フィッツナウ・リギ鉄道」「同 III-アルト・リギ鉄道」参照。

 

項番11~13:ツェントラール鉄道 Zentralbahn (ZB)

1870年代はアルプスの前山 Voralpen にとどまっていた鉄道路線だが、1880年代になると、より奥地へと延伸されていく。ルツェルン側からは、ジュラ=ベルン=ルツェルン鉄道 Jura–Bern–Luzern-Bahn がその役を担った。現在のZBブリューニック線 Brünigbahn(項番12)で、1888~89年にブリエンツ Brienz まで開業している(下注)。

*注 ブリエンツからは、ブリエンツ湖の蒸気船でインターラーケン Interlaken 方面に連絡した。ブリューニック線の全線開業は27年後の1916年。

ブリューニック線は、点在する5つの湖(ルツェルン湖、アルプナッハ湖 Alpnachersee、ザルネン湖 Sarnersee、ルンゲルン湖 Lungerersee、ブリエンツ湖 Brienzersee)のほとりを縫っていく路線だ。20世紀の建設なら長いトンネルで貫いてしまいそうなブリューニック峠も、ラックレールで律儀にサミットまで登っている。当然、車窓には期待どおりの景色が次々と現れて見飽きることがない。

同線はかつて、SBB唯一のメーターゲージ線だったが、2005年にルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク鉄道 Luzern-Stans-Engelberg-Bahn (LSE、項番11)、改めツェントラール(中央)鉄道 Zentralbahn に移管された。LSEの列車は、社名のとおりルツェルンに直通しているが、自社路線はヘルギスヴィール Hergiswil までで、その先はブリューニック線に乗り入れていた。この移管により、2本のメーターゲージ線が一体化され、合理的な運営が可能になった(下注)。

*注 2021年には、マイリンゲン=インナートキルヘン鉄道 Meiringen-Innertkirchen-Bahn (MIB)(項番13)もZBの運営下に入っている。


ブリエンツ湖畔を走るブリューニック線の列車
ニーダーリート駅東方(2009年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

項番10:ピラトゥス鉄道 Pilatusbahn (PB)

ブリューニック線と同時期の1889年に、ピラトゥス鉄道が開業している。これもラック鉄道だが、その構造は特別だ。480‰という途方もない勾配のため、リッゲンバッハやアプトのような垂直ラック式では、走行中にピニオン(歯車)がせり上がり、脱線の危険がある。そこでラックを水平かつ左右対称に配置し、両側からピニオンで挟む方法が考案された。この珍しいロッヒャー Locher 式は、世界でもここでしか見られない。


ロッヒャー式装置
Photo by Roland Zumbühl at www.picswiss.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

ブリューニック線のアルプナッハシュタート Alpnachstad 駅から、ピラトゥスの車両が望見できるが、側面の平行四辺形はどう見てもケーブルカーだ。車内も段差のついたコンパートメント式になっている。しかし、ケーブルカーと異なるのは、多客時に何両も続行で運行されることだ。車窓から前後を行く車両が見えるので、走行写真も自在に撮れる。しかし現在、連節車の導入計画が進んでいて、実現すればこの名物走行は見られなくなるかもしれない。


終点に向け最後の登坂(2020年)
Photo by Maria Feofilova at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番16:ブリエンツ・ロートホルン鉄道 Brienz-Rothorn-Bahn (BRB)

ブリューニック線の到達は、1892年6月のブリエンツ・ロートホルン鉄道開業につながった。列車が目指すロートホルン山頂に何があるのかと言えば、やはりアルプスの眺望だ。ブリエンツ湖の谷を隔てて、万年雪を戴くベルン・アルプス Berner Alpen の山並みが見渡せる。

しかし、どの世界にもライバルはいるもので、同じころユングフラウ地方 Jungfrauregion でも鉄道の開業が続いた。旅行者は、よりダイナミックな眺望が得られるほうに流れる。ブリエンツとインターラーケンの間にはまだ航路しかなく、アクセスの上でも不利だった。

鉄道の経営は一向に安定せず、結局、第一次世界大戦による旅行控えがとどめとなって、1915年に運行が中止される。再開は16年後の1931年だ。すでにライバルたちは電化を完了しており、皮肉にもブリエンツ・ロートホルン鉄道は、まだ蒸気運転をしているという希少性によって人気を得た。

現在の主役は1992~96年に新造された油焚きの蒸機だが、フルカ山岳蒸気鉄道とともに非電化のラック鉄道として、貴重な存在であることに変わりはない。


ゲルトリート信号所での列車交換(2013年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

*注 鉄道の詳細は「ブリエンツ・ロートホルン鉄道 I-歴史」「同 II-ルートを追って」参照。

 

項番18~22:ユングフラウ鉄道群 Jungfraubahnen

ベルナー・オーバーラント Berner Oberland 東部、インターラーケンやユングフラウ地方の鉄道網は、1872~74年開業のトゥーン湖 Thunersee とブリエンツ湖 Brienzersee の港の間を連絡する8.4kmの小路線(下注)から始まった。

*注 トゥーン湖東端の港デルリゲン Därligen とブリエンツ湖西端のベーニゲン Bönigen の間を結んだ標準軌のベーデリ鉄道 Bödelibahn。1893年にトゥーン Thun から延伸されてきた鉄道と接続して、国内路線網に組み込まれた。

1890年代になると、今もある鉄道路線の大半が舞台に現れる。ベルナー・オーバーラント鉄道(1890年)、ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道(1891年)、シーニゲ・プラッテ鉄道とヴェンゲルンアルプ鉄道(1893年)、少し遅れてユングフラウ鉄道の地上区間(1898年)と続く。


U字谷の急崖を上る
ラウターブルンネン~ヴェンゲン間(2019年)
Photo by Donnie Ray Jones at www.flickr.com. License: CC BY 2.0
 

このうち、ベルナー・オーバーラント鉄道 Berner Oberland-Bahn、略してBOB(項番18)は、インターラーケン・オスト Interlaken Ost 駅に発着する。標準軌線の列車から旅行客を受け取り、ユングフラウ地方の中心部へ送り込むのが使命だ。オスト駅のホームに待機する列車は長大編成で、どことなく「幹線」の風格を漂わせている。

編成が長いのは併結列車だからで、途中のツヴァイリュッチネン Zweilütschinen で2本に分割される。通常、前部がラウターブルンネン Lauterbrunnen、後部がグリンデルヴァルト Grindelwald 行きなので、乗り間違いには気をつけたい。


グリンデルヴァルト駅
左はBOB、右はWABの列車(2011年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

そのBOBのヴィルダースヴィール Wilderswil 駅からは、シーニゲ・プラッテ鉄道 Schynige-Platte-Bahn (SPB)(項番19)の列車が出発する。1910年代のラック式電気機関車と小型客車2両という懐古編成で、標高1967mの山上駅まで急坂を上っていく。

先へ進めばユングフラウ三山の麓まで行けるというのに、なぜ10~15kmも離れたこの山に登山鉄道が造られたのだろうか。実はこの距離にこそ意味があるのだ。一歩引いた位置のおかげで、三山はもとより、ヴェッターホルン Wetterhorn からブライトホルン Breithorn までベルン・アルプスが広く視界に入る。また、中間駅ブライトラウエネン Breitlauenen 駅周辺から見下ろすトゥーン湖、インターラーケン、ブリエンツ湖の眺望もすばらしい。

他の路線と違い、この鉄道の運行は夏のシーズン(おおむね5~10月)限定だ。冬季閉鎖中の雪害を避けるため、上部区間では運行期間終了後、架線の取り外し作業が行われる。


トゥーン湖とインターラーケン市街地を背景に上る列車
ブライトラウエネン駅付近(2007年)
Photo by Andrew Bossi at wikimedia. License: CC BY 2.5
 

BOBの二つの終点からサミットのクライネ・シャイデック Kleine Scheidegg を目指すのが、ヴェンゲルンアルプ鉄道 Wengernalpbahn (WAB)(項番20)だ。800mm軌間、BOBより小ぶりの車両だが、乗り込めば、いよいよアルプスの核心に向かうのだという高揚感が湧いてくる。

乗客の何割かは、ユングフラウ鉄道に乗り継ぐのが目的だろう。しかし、この路線自体、U字谷、山麓牧草地、三山の岩壁と、絶景が車窓に現れ続けるから目が離せない。勾配は最大250‰と険しく、列車は常に電動車を坂下側にして走る。谷底にあるグルント Grund 駅のスイッチバック構造や、クライネ・シャイデックで運行系統が二分されている(下注)のは、それが理由だ。

*注 クライネ・シャイデックには三角線があり、列車編成の向きを変えることは可能だが、定期列車には使われていない。


ヴェンゲン駅に入線する列車(2003年)
Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

トップ・オヴ・ユーロップ Top of Europe のうたい文句どおり、ユングフラウ鉄道 Jungfraubahn (JB)(項番21)はヨーロッパ最高所の鉄道駅に旅行者をいざなう。開業以来、スイス観光のハイライトとして不動の地位を保つ鉄道だ。

しかし9.34kmのルートのうち、車窓からアルプスの風光を楽しめるのはアイガーグレッチャー Eigergletscher 駅にかけての約2kmに過ぎない。あとは終点まで素掘りのトンネルの中だ。途中のアイガーヴァント Eigerwand とアイスメーア Eismeer の両駅では数分の停車があり、岩壁に開いた窓から外の景色が眺められたのだが、2016年の新型電車就役以来、時間短縮のために、停車はアイスメーアのみとなった。

下界が晴れていても、山上は濃霧と強風の可能性がある。運よく天気に恵まれれば、アレッチュ氷河 Aletschgletscher 源流域のまばゆい銀世界を目の当たりにできる。


クライネ・シャイデック駅に停車中の列車
背景はアイガー北壁(2012年)
Photo by Mjung85 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

続きは次回に。

★本ブログ内の関連記事
 スイスの保存・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存・観光鉄道リスト-南部編 II

 フランスの保存・観光鉄道リスト-北部編
 フランスの保存・観光鉄道リスト-南部編
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2021年9月22日 (水)

スイスの保存・観光鉄道リスト-北部編

アルプス山脈が国土の約6割を占めるスイスは、誰しも認める観光大国だ。19世紀以来、その振興に鉄道が重要な役割を果たしてきた。山間に点在するリゾートや人気の展望台へ、延びる線路が旅行者を絶えず呼び込んでいる。鉄道自体も観光資源化され、乗車体験を目的に多数の人が訪れる。

鉄道の使命はそれにとどまらない。貨物輸送のモーダルシフトを推進するため、主要幹線では、長大トンネルを含めて大規模な線路改良が行われてきた。ローカル輸送でさえ、他国ならとうにバス転換されているような路線が存続し、モダンな低床車両が行き来している。


レマン湖畔の葡萄畑を上るSBBの臨時列車
ヴヴェー=ピュイドゥー・シェーブル線(項番33)にて(2020年)
Photo by Kabelleger / David Gubler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

今、スイスの保存鉄道・観光鉄道のリストを編んでいるところだ。ヨーロッパでもとりわけ鉄道が活性化している国とあって、シュヴェーアス・ウント・ヴァル社の「スイス鉄道地図帳 Eisenbahnatlas Schweiz」などを参考にしながら挙げていくと、80件近くに上った。このうち北部編には、主としてミッテルラント Mittelland とジュラ山地 Jura にある鉄道路線を収録している。

「保存・観光鉄道リスト-スイス北部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_swissn.html


「保存・観光鉄道リスト-スイス北部」画面
 

各項目では、公式サイトへのリンクとともに、鉄道が走る場所を特定できるように、グーグルマップ(「Google」と表記)と官製地形図(「Swisstopo」と表記)の、2種の地図サイトにリンクを張った。

官製地形図(最新図式)の場合、赤の線で描かれているのが鉄道だ。このうち太線は標準軌、細線は狭軌で、線が2本並行しているのは複線(またはそれ以上)を表す。駅名も赤字で添えられており、場所の特定に効果を発揮する。詳しい使い方については、本ブログ「地形図を見るサイト-スイス(基本機能)」「地形図を見るサイト-スイス(旧版図閲覧)」を参照されたい。


swisstopoサイトでの鉄道の表示例
赤の太線は標準軌、細線は狭軌、二重線は複線以上
© 2021 swisstopo

北部編で特に興味を引かれた鉄道をいくつか挙げてみよう。

項番1~5:アッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen

スイスの鉄道の特徴の一つは、ラックレールを用いる急勾配区間の多いことだろう。地勢の険しいアルプスの山中は言うに及ばず、その前山 Voralpen にも集中するエリアがある。それが東部ザンクト・ガレン St. Gallen、アッペンツェル Appenzell 周辺の丘陵地帯だ。

ここには現在3本のラック鉄道があるが、最も歴史の古いのが、ロールシャッハ=ハイデン登山鉄道 Rorschach-Heiden-Bergbahn (項番2)だ(下注)。ヨーロッパで初めて実用化されたフィッツナウ・リギ鉄道(1871年)の4年後の1875年に開業している。

*注 かつては独立した鉄道会社だったが、2006年にアッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen(略称 AB)に合併されたため、リストでは「AB ロールシャッハ=ハイデン登山線」と記している。

もちろん同じニクラウス・リッゲンバッハ考案の方式を使っており、リギ山やブダペストの路線とともに、ラック鉄道の第1世代に位置づけられる。1435mmの標準軌で、ラックレールの形状による制約からカーブが比較的緩やかなのがこの世代の共通項だが、同一軌間の強みを生かして、列車がSBB(スイス連邦鉄道)線の一部区間に乗り入れるのが興味深い。


ハイデン駅に到着した列車(2009年)
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

2番目に古いのは、1889~1904年に開業したアッペンツェル路面鉄道 Appenzeller Strassenbahn、現在のザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線 St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn (項番5)だが、全部で7か所あったラック区間は、後の線路改良で順次廃止され、2018年から全線が粘着式運転になった。用済みのラック用電車の一部は、オーストリアのアッヘンゼー鉄道 Achenseebahn に譲渡された。ところが補助金の打ち切りで電化計画が頓挫したことで、一度も使われずに廃車となった事件は記憶に新しい(下注)。

*注 詳細は「アッヘンゼー鉄道の危機と今後」参照。

次は、見晴らしの良いことで知られるアルトシュテッテン=ガイス線 Bahnstrecke Altstätten–Gais (項番4)だ。開通は1912年と、時代が下がる。このころのラック鉄道の多くは、ユングフラウ鉄道 Jungfraubahn で採用されて広まったシュトループ Strub 式で建設されている。フランス・シャモニーのモンタンヴェール鉄道 Chemin de fer du Montenvers、ドイツ・バイエルンのヴェンデルシュタイン鉄道 Wendelsteinbahn などが兄弟分だ。


ガイスへのラック区間を上る(2010年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

最も新しいのは、意外にもライネック=ヴァルツェンハウゼン登山鉄道 Bergbahn Rheineck-Walzenhausen (項番1)で、1958年に運行を開始した。意外にも、という理由は、見かけが古風だからだ。それも道理で、もとは1896年にケーブルカーとして開業し、山麓駅と少し離れたSBBのライネック Rheineck(下注)駅との間はトラムで連絡していた。この2本の路線をつなげる形で再構築されたのが、現在のラック鉄道だ。乗っていると、平坦線が急に険しい勾配に変わるので、もとの姿が想像できる。

*注 地名ライネック Rheineck は、ライン川 Rhein の曲がり角 Eck という意味で、語の成り立ちを尊重して「ラインエック」とも書かれる。


ケーブルカー時代の面影を残す急勾配線(2015年)
Photo by Kecko at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

現存3線はそれぞれに個性的だが、将来の見通しは明るくない。利用者数が減少しているとして、2019年から、より効率的な代替輸送に関する検討が開始されており、バス転換の可能性も出てきている。

項番30:モントルー=グリオン=ロシェ・ド・ネー鉄道 Chemin de fer Montreux-Glion-Rochers de Naye

西部では、レマン湖畔から背後の山に上っていくラック登山鉄道が2本ある。どちらかを選ぶなら、湖岸にそそり立つ標高2042mの高峰ロシェ・ド・ネー Rochers de Naye に上るこの鉄道がいい。

乗り場はCFF(スイス連邦鉄道)モントルー Montreux 駅の奥にある薄暗い半地下ホームだ。押しやられたような場所にあるのは、ここに集まる3本の路線の中では新参だからだ。ところが、発車して最初のトンネルを抜けると、一転レマン湖を見下ろす急斜面に出て、車窓はそれ以降、壮大なパノラマ劇場と化す。ジグザグに上っていくので、左右どちらに座っても絶景を眺めるチャンスが来るのがうれしい。

ダン・ド・ジャマン Dent de Jaman の荒々しい岩壁が見えてくれば、旅も終盤を迎える。温暖な湖岸から50分、列車が山頂直下の終点に到着すると、乗客は氷河の痕跡、カール地形のどまん中に放り出される。風は思ったより冷たく、上着は必須だ。


ロシェ・ド・ネー山頂から山上駅を見下ろす(2018年)
Photo by Johann Conus at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番13:AVA ブレームガルテン=ディーティコン線 Bremgarten-Dietikon-Bahn

周辺諸国では戦後急速に数を減らしたメーターゲージ(1000mm軌間)の地方路線も、スイスではまだ一大勢力を保っている。建設費節約のために採用された規格なので、急曲線、急勾配がざらにあり、市街地では路面軌道も多く残っている。

チューリッヒ近郊を走るこの路線では、ブレームガルテン Bremgarten の町へ降りていく道路に沿うヘアピンルートが目を引く。何もそこまで道路に付き合わなくてもいいと思うが、もとはこの道路上を走る路面軌道だった。これだけ曲折してもなお勾配は55‰というから、直線化は不可能だ。

ブレームガルテンは、ロイス川 Reuss が蛇行する袋状の土地に築かれた小さな中世都市で、川を横断する鉄道のアーチ橋と組み合わせた写真がよく引用される(下の写真)。ディーティコンから乗ってきた客はほとんど町の中心駅で降り、車内はがらんとしてしまう。


ブレームガルテン旧市街のロイス川に架かるアーチ橋(2012年)
Photo by NAC at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番18~19:ジュラ鉄道 Chemins de fer du Jura
項番20:ラ・トラクシオン(牽引)La Traction

ジュラ鉄道は、フランス国境に横たわるジュラ山地で、メーターゲージ2路線と標準軌1路線を運営する鉄道会社だ。人口の少ない過疎地だが、旅客とともに貨物輸送も行って、地元経済に貢献している。リストに挙げたのはいずれもメーターゲージ線だ。

ラ・ショー・ド・フォン=ル・ノワールモン=グロヴリエ線 Ligne La Chaux-de-Fonds - Le Noirmont - Glovelier が本線格で、時計の町ラ・ショー・ド・フォン La Chaux-de-Fonds から出発する。市街地で併用軌道を少し走った後は、標高1000m前後の森と牧草地が交錯するのどかな高原地帯を進む。最後は谷底のグロヴリエ Glovelier へ降下していくのだが、その途中にオメガループ(馬蹄カーブ)とスイッチバックがある。

列車の進行方向が変わるコンブ・タベイヨン Combe-Tabeillon 駅は、人里離れた渓谷の中の秘境駅だ。折返しを待つ間、車内は静まり返り、どこか遠いところに置いて行かれたような気分になる。


スイッチバックのコンブ・タベイヨン駅(2017年)
Photo by chrisaliv at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ところで、軽便鉄道の雰囲気が最も濃厚なこの区間が、初めは標準軌だったと知れば驚くだろう。セーニュレジエ Saignelégier の西側は1892年開業で、もとからメーターゲージだが、東側は遅れて1904年に、別会社により標準軌支線として誕生した。地元の有名な競馬行事、マルシェ・コンクール Marché-Concours の日には、バーゼルから直通列車が運行されたそうだ。しかし、ジュラ鉄道に統合後、1953年に狭軌に転換されて今の形となった。

旧標準軌区間にあるプレ・プティジャン Pré-Petitjean では、「ラ・トラクシオン La Traction(牽引の意)」の名で保存列車を運行する愛好家団体が、活動拠点を構えている。場所はプレ・プティジャン駅の東側にある元 製材所の敷地で、電車の窓からも見える。


「ラ・トラクシオン」リーフレット表紙
© 2021 les-cj.ch
 

項番25:イヴェルドン=サント・クロワ鉄道 Chemin de fer Yverdon - Ste-Croix

この鉄道は、ヌーシャテル湖 Lac de Neuchâtel 南端の町イヴェルドン・レ・バン Yverdon-les-Bains を起点とする。全線の所要時間は36分に過ぎず、行路の前半は、のびやかな丘が続く平凡な車窓だ。ところが、中間駅ボーム Baulmes を後にすると、ルートはにわかに山岳鉄道の様相を帯びる。終点サント・クロワ Ste-Croix はジュラ山地の高原上にあり、そこまで高度400m以上も上らなければならないからだ。

線路は山裾にオメガカーブを描いて方向を変え、ジュラの東壁にとりつく。そして44‰の急勾配でじわじわと高度を上げていく。たとえばルツェルン Luzern~エンゲルベルク Engelberg 間の LSE線のように、ラック式で一気に高度を稼ぐこともできたはずだが、そうはしなかったのだ。地図上でルートを追うと、勾配を許容範囲に抑えるために、南西に大きく迂回して距離を引き延ばしていることがよくわかる。

斜面に育つ木々に遮られることが多いとはいえ、車窓からの眺めは文句なしに素晴らしい。左遠方にヌーシャテル湖の湖面とイヴェルドン市街地、正面に今通ってきた丘陵地とオルブ平原 Plaine de l'Orbe が横たわる。ラック式なら直線的に上るから、景色を楽しむ時間はもっと短かったに違いない。


ビュイトベフ Vuiteboeuf 付近
これから上る線路が背後の山に斜めの筋を描く(2018年)
Photo by Plutowiki at wikimedia. License: CC0 1.0

スイスの場合、一般路線でも見どころを挙げればきりがない。ましてや観光路線はそれを売り物にしているから、リストはこれだけでいっぱいになる。他国編で挙げているような蒸気機関車の保存鉄道 Museumsbahn ももちろんあるものの、どこか影が薄いのはやむを得ないことだ。

しかもスイスは鉄道の活用度が高く、保存列車走行に使えるような休止線(線路が残るもの)が少ない。また、電化が進んでいる(一般路線の電化率は100%)ので、蒸機といえども架線の下を走る形になってしまう。

項番7:エッツヴィーレン=ジンゲン鉄道線保存協会 Verein zur Erhaltung der Eisenbahnlinie Etzwilen-Singen

スイスとドイツの国境をまたいで走るこの標準軌路線は、珍しく電化されないまま2004年に休止となった。2007年にエッツヴィーレン Etzwilen と中間にある拠点駅ラムゼン Ramsen の間で保存列車の運行が始まり、2020年にドイツ側の終点ジンゲン Singen までの全線で運行が可能になった。

写真撮影に目障りな架線や支柱がなく、ルート上にはライン川を横断する高いトラス橋(下の写真)も架かっていて、舞台装置は申し分ない。しかし、今のところ運行日は夏のシーズンの月1回程度に過ぎず、毎週日曜日に実施される軌道自転車の貸出しが主体となっているのが惜しい。


ライン川を横断する蒸気列車(2010年)
Photo by Martingarten at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番8:チュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道協会 Dampfbahn-Verein Zürcher Oberland

チュルヒャー・オーバーラント Zürcher Oberland は、チューリッヒ州の高地地方を意味する。ここを通るヒンヴィール Hinwil ~バウマ Bauma 間の標準軌旧線(1969年廃止)が、蒸気保存鉄道として蘇ったのは1978年のことだ。現在の主力は、1901年製のEd 3/3形蒸機2機だが、電化路線のため、電気機関車による運行も行われる。

この保存鉄道の優位性は、チューリッヒやヴィンタートゥールといった主要都市圏から、Sバーンで容易にアクセスできるところにある。運行日には最大6往復が設定され、その人気ぶりを物語る。

ルートは峠を挟んでいて、ヒンヴィールを発車するとすぐ、機関車は胸突き八丁に挑まなければならない。町を取り巻いて上っていくオメガループは、29.2‰の急勾配だ。サミットの南側のベーレツヴィール Bäretswil を過ぎると下り坂になり、右の車窓にチュルヒャー・オーバーラントの平原が見えてくる。

定番のビュフェカーはもとより、鉄道の創設者が経営した紡績工場跡の博物館見学、ボンネットバスでの送迎、沿線のハイキングなど、行楽客を誘う途中下車のオプションにも注目したい。


バウマ駅を後にする蒸気列車(2011年)
Photo by Abderitestatos at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

標準軌の蒸気保存鉄道にはこのほか、チューリッヒ南郊を走るチューリッヒ保存鉄道 Zürcher Museums-Bahn(項番12)、ジュラ山地のヴァル・ド・トラヴェール蒸気鉄道 Vapeur Val-de-Travers(項番24)、ベルン州のエメンタール保存鉄道協同組合 Genossenschaft Museumsbahn Emmental(項番26)などがある。

 

項番31:ブロネー=シャンビー保存鉄道 Chemin de fer musée Bloney-Chamby

メーターゲージ(1000mm軌間)の保存鉄道では、やはりブロネー=シャンビーにとどめを刺す。1968年から活動している老舗であり、保有する車両の種類と数でも群を抜いているからだ。

起点のブロネー Blonay へは、レマン湖畔のヴヴェー Vevey からヴヴェー電気鉄道 Chemin de fer électriques Veveysans の電車で向かう。この路線はラック線となってレ・プレイアード Les Pléiades の山上へ続いているが、元来、シャンビー Chamby が終点で、MOB線に接続していた。つまり、保存鉄道は、ヴヴェー電気鉄道が1966年に廃止した区間を使っているのだ。

全線わずか3kmと短いにもかかわらず、これほど変化に富んだルートはなかなか見つからない。最大50‰の急坂、小刻みに振れる曲線、谷を渡る急カーブのアーチ橋(ベ・ド・クララン高架橋 Viaduc de la Baye de Clarens)、さらには湖を見晴らす高台と、鉄道模型も顔負けだ。もとが電気鉄道なので、蒸機とともに、オールドタイマーの電気機関車や電車が走るのもうれしい。


ベ・ド・クララン高架橋を渡る(2016年)
Photo by Allmendstrasse at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

列車はブロネーを出発し、シャンビー到着後すぐ折り返して、近くの山手にあるショーラン車庫の鉄道博物館 Chaulin-Musée(SBB公式時刻表ではシャンビー博物館 Chamby-Musée と記載)に立ち寄る。ここまでが往路の扱いだ。急ぐ旅なら、直近のブロネー行き列車で戻ることもできるが、個性あふれる保存車両群を一つずつ観察し始めたら、いくら時間があっても足りないだろう。


ショーラン車庫の凸型電気機関車Ge 4/4 75(2018年)
Photo by Allmendstrasse at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

南部編のあらましは次回に。

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2021年9月15日 (水)

ルクセンブルクの鉄道時刻表


CFL公式時刻表 表紙
1988年夏版
 

ベネルクス三国の一つ、ルクセンブルクの面積は2,586平方km、神奈川県(2,416平方km)をやや上回る程度の小国だ。領内には275kmの鉄道路線網(下注)があり、ルクセンブルク国鉄 Société nationale des chemins de fer luxembourgeois、略称 CFL がその運営を一手に担っている。

*注 2021年9月現在。ただしCFLが運行していない2017年12月に開業した首都ルクセンブルク市のトラムなどは含まない。

1980年代にこの国を旅した際に、ルクセンブルク駅のキオスクで公式時刻表 Indicateur officiel を買ったことがある。当時のメモによればバスの時刻表は別にあったらしく、これは列車の時刻と、巻末にモーゼル川の遊覧船の時刻だけを収録した冊子だ。表紙に、夏の時刻表 Horaire d'été、88年5月29日~9月24日と有効期間が記されている。

ページ構成は次のとおり。


10~24ページ 時刻表の読み方 Conseils pour la lecture de l'indicateur
25~37ページ 旅のヒント Conseils pour vos voyages
37~40ページ 駅名索引 Nomenclature des gares
41~45ページ 優等列車の編成表 Tableau des voitures directes

時刻表 Horaires
50~147ページ 主な国際連絡 Principales relations internationales
149~152ページ 簡易寝台連結のカートレイン Trains autos-couchettes
154~200ページ CFL国内路線 Lignes intérieures CFL


他国の時刻表に比べて、国際連絡のボリュームが大きいのが特徴だ。国内路線の47ページに対して、国際連絡は98ページと2倍の厚みがある。国内の路線数からすれば当然かもしれないが、政治・経済・観光など様々な分野で、近隣諸国との間に頻繁な往来があることの表れとも言えるだろう。


同 時刻表の一部
(左)しおりに印刷された目次
   色付きの囲みは用紙の色を示す
(右)国内路線図
 

目次にも表示されているが、時刻表ページは方面別に用紙の色を変えるというていねいな造りだ。赤のベルギー方面はアムステルダムやオーステンデまで、緑のドイツ方面はベルリンやウィーンまで、青のフランス方面は遠くスイス、イタリア、スペインの諸都市までの列車時刻が見られる。しかも直通列車だけでなく、乗り継ぎ便も含めた総合案内になっている。


同 国際連絡時刻表(ベルギー以遠)の一部
 

ルクセンブルク空港には国際線の旅客機しか発着しない、という話題がトリビア的に語られることがあるが(空港が国内に一つしかないため)、CFLの時刻表もそれに近いかもしれない。

では現在、列車時刻表はCFLの公式サイトでどのように提供されているだろうか。英語版サイトで確かめておこう。

1.条件指定による列車検索

CFL(英語版)
https://www.cfl.lu/en-gb/


初期画面での列車検索
 

発着駅と日時の条件に適合する列車を表示する機能は、トップページの右側に表示されている。

出発駅、到着駅、日時、着/発などを設定して、その時刻以降に発車/到着する列車を検索できる。入力する駅名は正確でなくても、ドロップダウンリストに表示される候補から選択すればよい。


列車検索の結果表示
 

2.テーブル形式の時刻表ダウンロード

テーブル形式の時刻表は、PDFファイルでダウンロードできる。

CFL(英語版)-時刻表
https://www.cfl.lu/en-gb/timetable


"Timetables" の初期画面
 

時刻表のページで最初に表示されるのは、トップページの列車検索で "Advanced search(詳細検索)" を選択したときと同じ画面だ。それを下へスクロールしていくと、"Pocket timetables(ポケット時刻表)" のタイトルが現れる。ここに路線(系統)別時刻表PDFへリンクがある。内容は、駅の窓口などによく置いてある無料の折り畳み式時刻表そのものだ。


上の画面の続きにある時刻表ダウンロードの部分
 

 

上のタブを "International(国際線)" に切り替えれば、冊子時刻表で見たような、国境を越えて走る国際列車の時刻表が取得できる。

これらの画面には、系統ごとに起終点と主要経由地が記されているが、行きたい駅の名がその中になければ、やはり路線(系統)図が必要だ。インタラクティブ方式の路線図が次のURLにある。

CFL(英語版)-路線網と駅
https://www.cfl.lu/en-gb/network

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インタラクティブ路線図
 

左側のフィルター欄にある各系統番号にカーソルを当てると、経由する全駅名のリストが赤字で表示される。各駅名をクリック/タップすると、画面が当該駅に関する情報に切り替わる。

また、各系統のチェックマークを入れる(クリック/タップする)と、右の地図にその系統の路線図が表示される。赤色のピンは駅を表しており、カーソルを置くと駅名が現れる。

携行用に固定グラフィックによる路線図もあるといいが、公式サイトでは見つからなかった。参考までにウィキメディア・コモンズに収載されている路線図のリンクを掲げておこう。個人の作品のようだが、方面別に色分けされていて、CFLの旅客路線網の全体像がよくわかる。

■参考サイト
Wikimedia Commons - Rail Map Luxemburg.png
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rail_Map_Luxemburg.png


Image by Shimanto1 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

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2021年8月23日 (月)

ベルギーの鉄道時刻表


ベルギー国鉄公式時刻表 表紙1987/88年版
 

フランス語でベルギー国鉄は SNCB、フルネームで Société nationale des chemins de fer belges(ベルギー鉄道国有会社の意)だ。その belges(ベルギーの)を français(フランスの)に入れ替えれば、フランス国鉄の名称 SNCF になる(下注)。

*注 会社の設立は SNCBが早くて1926年、SNCFは1938年。

ベルギーの南半分、ワロン地方 Wallonie の大部分はフランス語圏で、隣国フランスの影響を多かれ少なかれ受けてきた。ベルギー国鉄の公式時刻表の構成がSNCFの流儀に倣っているように見えるのは、その一例かもしれない。

手元にある1987/88年版の目次は以下のとおり。


2~5ページ 新着情報 Nouveau
6~68ページ 案内全般 Tout ce qu'il faut savoir sur
69~382ページ 1001の接続 Les 1001 relations
383~744ページ 国内列車時刻表 Horaires des trains intérieurs


「1001の接続」と「国内列車時刻表」のページ数が明らかに拮抗している。「国内列車時刻表」はいうまでもなく、線区ごとのテーブルになった時刻表だが、「1001の接続」とは何だろうか。

鉄道旅行者にとってまず知りたい情報は、列車が最寄り駅をいつ発車し、目的の駅にいつ着くかということだ。「1001の接続」の表には、ある駅から目的の駅に行く列車の発車時刻、到着時刻と所要時間が、始発から終列車まで羅列されている。直通列車ではない場合は、乗換駅と乗換時分の記載もある。要するに、主要駅からの接続列車時刻表だ。

ちなみに1001 (mille et une) は、千一夜物語(アラビアン・ナイト)に由来する「きわめて多くの」という意味の慣用表現であり、具体的な項目数ではない。


「1001の接続」の記載例
 

例として、ブリュッセル南駅 Brussel-Zuid/Bruxelles-Midi の段を見てみよう(上の写真はその一部)。行先がアルファベット順に、アーヘン中央駅 Aachen-Hbf(ドイツ)からゾッテヘム Zottegem まで64件挙がっている。アーヘン行きの場合、6時48分発のケルン行きICが朝一番で、その後7時48分発、9時48分発と続き、最終は22時34分発の国際列車であることがわかる。

また、次のアールスト Aalst 行きのように、等時隔ダイヤになる時間帯は「時」の記載を省いて「分」だけにすることで、記述を1~2行にまとめてページ数を圧縮している。

こうした記載方式は、フランスSNCFの時刻表「ヴィル・ア・ヴィル Ville à ville(町から町への意)」と同じだ。SNCFの場合、駅の売店に置かれているのはもっぱら「ヴィル・ア・ヴィル」で、テーブル形式の全国時刻表は業務用の扱いだった。ベルギー国鉄の場合は、1冊の中でこのフランス式と通常の時刻表が二本立てになっていたのだ(下注)。

*注 「1001の接続」の中扉のタイトルは "1001 relations de ville à ville(町から町への1001の接続)" になっている。


国内列車時刻表は通常のテーブル形式
 

「ヴィル・ア・ヴィル」は、列車の運行計画を利用者目線に立って配列し直している。今や各国の鉄道会社のウェブサイトに標準装備されるようになった「条件指定による時刻検索ツール」も、この機能を発展させたものに他ならない。

ベルギー国鉄の冊子時刻表がいつごろまで刊行されていたのかは定かでないが、少なくとも現在はウェブサイトに移行しているようだ。公式サイトで、時刻表検索とダウンロードの方法を見ておこう。

なお、ベルギー国鉄のサイトは英語と、ベルギーの公用語であるオランダ語、フランス語、ドイツ語の4か国語版が用意されているが、詳細ページに進むと、主要公用語のオランダ語とフランス語のみになることがしばしばある。

(掲載のURLや画像は、2021年8月現在のものである)

1.条件指定による列車検索

発着駅と日時の条件に適合する列車を表示する機能は、トップページの左側を占めている。英語版のサンプル画面を下に掲げる。

SNCB公式サイト(英語版)
https://www.belgiantrain.be/en


初期画面での列車検索
 

出発駅、到着駅、日時、着/発などを設定して、その時刻以降に発車/到着する列車を検索できる。入力する駅名は正確でなくても、ドロップダウンリストに表示される候補から選択すればよい。ベルギーの地名は各国語で綴りが異なる場合がある(下注)が、おおむね対応しているようだ。

*注 例えば、ブリュッセルは英 Brussels 仏 Bruxelles 蘭 Brussel、アントウェルペン(アントワープ)は英 Antwerp 仏 Anvers 蘭 Antwerpen、ヘント(ゲント)は英 Ghent 仏 Gand 蘭 Gent、ブルッヘ(ブルージュ)は英 Bruges 仏 Bruges 蘭 Brugge など。


列車検索の結果表示
 

2.テーブル形式の時刻表ダウンロード

テーブル形式の時刻表は「時刻表リーフレット Timetable leaflet」という名称で案内されている。駅のインフォメーションなどで見かける路線別のミニ冊子のイメージだ。

SNCB(英語版)-時刻表リーフレット
https://www.belgiantrain.be/en/travel-info/prepare-for-your-journey/leaflets
または、
トップページ(英語版)https://www.belgiantrain.be/en/
右上隅のメニューから、Travel Information > Prepare for your journey > timetable leaflets and network map


時刻表リーフレットの選択
 

最上段に「map of the network(路線ネットワーク地図)」がある。路線の時刻表番号を知るために、まずダウンロードしておきたい。

リーフレットは何種類かある。


InterCity leaflets:インターシティ(IC)の運行系統別時刻表

Line leaflets:路線別時刻表
 ベルギー国鉄が運行しているIC、Sトレイン、Pトレイン、Lトレイン(下注)など全旅客列車の時刻が掲載されている。ベルギー国鉄の運行ではないユーロスター Eurostar、タリス Thalys、ICEなどは含まれない。

S Train Brochures:Sトレインの運行系統別時刻表

Personal timetable leaflet:オーダーメイドの時刻表

*注 Sトレインは、主要都市と周辺地域を結ぶ原則等時隔運行の通勤通学列車で、Sは Suburban の意。
   Pトレインは、朝夕の混雑時に増発運行されている通勤通学列車で、Pは Peak time の意。
   Lトレインは、その他のローカル列車で、Lは Local の意。


リーフレットの種類を選択すると、次はPDFファイルのダウンロード画面だが、残念ながらフランス語とオランダ語しかない。例として、フランス語の路線別時刻表 Line leaflets/Brochures de ligne の画面を示した。

最初の2本のPDFは全線を1ファイルにまとめた時刻表で、上が平日用(祝日を除く月~金曜)、下が休日用(土曜・日曜・祝日)だ。それに続いて路線別のファイルが並んでいる。


路線別時刻表のダウンロード

上記で取得できる時刻表は現行のものだが、個人サイトで、過年度版の時刻表ファイル(ベルギー国鉄およびルクセンブルク国鉄)が入手できる。

Beluxtrains - Old timetables list
https://www.beluxtrains.net/indexen.php?page=timetables

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 ベルギーの鉄道地図

 オランダの鉄道時刻表
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